校閲の苦労と友達

私が大学院生だったころ苦労したことの一つが、英文論文やレジュメのネイティブチェックである。あれはどういうわけか世間から、「友達や知人にやってもらえ」という圧力がかかり、カネを出して業者にやってもらうというシステムが当時はなかった。だが私にはそうやすやすとネイティブの友人は見つからなかったし、むしろタダでやってもらうということがとにかくトラブルの種だった。しかし教授たちはどうしていたのだろう。カナダへ行っても苦労は続いた。何しろ寮に住んでいたからネイティブはいたが、専門が違うと、私がスタイナーの『悲劇の死』を援用しても、相手は「悲劇」がいい意味で使われているということが分からなかったりするし、ポンと渡して数日して返ってくるというわけにはいかず、対面でああだこうだとやる結果になった。それが、タダだから双方がイライラする結果になった。今の私だったら、カネは払うから頼むと言うところだが、なんかカネを払わせない雰囲気があった。

 英文チェックの苦労はある時期以降はなくなったが、今度は著書に校閲がつかないと間違いだらけになるということで苦労するようになった。「校閲ガール」とかのおかげで、世間では出版社に校閲部があると思っているが、私が聞いた範囲ではほぼ外注で、出版不況になってからとか、零細出版社ではそれを省くことが出てきて、悲しいことになった。大物作家が大手出版社から出したものでも間違いが多かったという例もあるから、全体に弱体化しているんだろうか。むろんそれだって、著者が時間をかけてじっくりやるとか、誰かに読んでもらうとかすればいいわけで、研究書などではそういうこともあるようだが、それは生活のための著書ではない。校閲を自分のカネで頼んだら儲けはなくなってしまう。