「推理小説」は「読書」ではないのか?

昨年か一昨年、1978年2月にNHK少年ドラマとして放送された都築道夫原作の「蜃気楼博士」が再放送されたのを、懐かしく観ていたものだが、狂言回し役の中学生の少年のガールフレンドが、眼鏡をかけてブスなのに、だんだんかわいく見えてくるのが気になって、また観ていたら、途中で少年が風邪を引いたところへこの「こずえ」という女子が見舞いに来て、少年の母親と以下の会話を交わす。

・こずえ:××君が風邪をひくなんて、鬼の霍乱ね。

・母:まあ、こずえさん、難しい言葉を知っているのね。

・こずえ:あら、こう見えて、わたし、読書家ですのよ。

・少年:ウソつけ、推理小説ばっかり読んでるくせに。

・こずえ:ばれたか。

 何とも70年代の定型的な会話だが、よく考えると、推理小説だって読書じゃないか、と今の人なら思うだろう。1950年代の『サザエさん』で、百人一首を暗記しようとしていたカツオが「勉強しているんじゃなくて遊んでいる」と思われる場面があったが、1978年には、推理小説を読むのは「読書家」の範疇には入らなかったということか。

小谷野敦