(断片3)

 その頃私は浪速大のウェブサイトを見ていて、ムラヴィンスキーの新しいロシヤ人の学生というのは、これではないか、と目星をつけたのがいた。それは文学部のほうの大学院生だったが、専門がムラヴィンスキーに近いので、そう思ったのだ。そこで私は、自分のブログにそのサイトをリンクして、ムラヴィンスキーの愛人はたぶんこれだ、と書いた。
 すると二、三日して、ウェブサイトのほうにメールが来た。それは大村壱岐子という、やはり浪速大のあの大学院の院生で、先生、あの人は違うんじゃないでしょうか、週刊誌にも学生とあったし、と言ってあった。私は直メでこの大村壱岐子とやりとりしたが、壱岐子は牧冬子のことも知っていて、あの事件はレイプではないと思う、と言っていた。
 私はブログのリンクは削除して、牧冬子に、壱岐子から便りがあったことを告げた。牧は、「大村壱岐子…あいつの旦那は日立智久といってムラヴィンスキー緑川の弟子だから、あっちにつくかもしれませんね」と言うので、私はちょっと驚いた。日立智久なら知っていたからである。これも院生である。
 もうそれから三、四年以前のことだが、日立智久は、「異常なる性行為の探求」というおかしなウェブサイトを持っていて、ムラヴィンスキー緑川を、師匠のように書いていた。そういうサイト自体、不快だったが、だいたい夜中になると、不快なネット上の情報に反応したくなる私は、コメント欄に、「君はムラヴィンスキーのしたことを知っているのか」といったことを書き込んだ。すると日立は、私のことを知っていて、先生が浪速大に対してしている攻撃はひどすぎるのではないかと書いてきた。といっても、ムラヴィンスキーのことではなく、赴任当初に、酒の席で私を恫喝した平木のことだった。私は、ムラヴィンスキーならともかく、平木については、個人的に許しがたいと思っていたから、大変怒り、以後日立との交渉を絶っていたのだ。
 大村壱岐子に、そのことを言うと、先生が日立を知っているとは思わず、驚きました、と言い、日立は本当は先生(私のこと)に師事したかったのに、先生がいなくなったため、指導教官ではなかったのですがムラヴィンスキーに教わったりしていたのです、けれどムラヴィンスキーに対してはいろいろ批判的です、と言い、あの「異常なる性行為」については、結婚する時に削除させた、ということだった。
 浪速大がいまどうなっているのかは気になったが、教員の知り合いは、むろん外部の者に軽々と口を割らないので、壱岐子は格好の窓口になった。牧とムラヴィンスキーの間で何があったかは、割と広く知られていて、みな、レイプなどでないことは分かっている、と壱岐子は言っていた。
 本を送って、牧冬子からメールが来たので、年末、再度会話が出来るようになっていたのだが、私が、壱岐子が、レイプではないと言っている、と言うと、牧冬子は、なぜですかと言うから、それは、駅まで行って戻ってきてのことだから、レイプというのは無理でしょう、と言うと、
 「私は壱岐子ちゃんの意見を聞きたいんですけれども」
 と言い、あの優しい壱岐子ちゃんは、そんなひどいことは言わないと思う、と言うのである。前と言うことが違うなと思ったのだが、どうやらその後、直接壱岐子とやりとりをし、会いもして、カウンセラーのところへもついて行ってもらったりしていたようだった。
 年が明けて、牧冬子に大学から呼び出しが掛かったという。大学でも調査を始めているらしく、ムラヴィンスキーは既に事情聴取をされていたようだ。ここでの問題は、強姦か否かということになるわけだが、私は牧に、「たとえ強姦でなくても、初対面の女子院生を研究室へ連れ込んで関係したのは問題なのだから、行って話して来たらどうか」と言ったが、この「強姦でなくても」という部分に、牧冬子は烈火のごとく怒った。
 牧は、博士号をとっても非常勤の職もないことに不遇感を抱いており、当時はどうやら何の仕事もしていなかったようだが、出版社で話した時に、自分はそうなのにムラヴィンスキーは准教授をしていて…といったことを漏らした。しかしそれでは八つ当たりだ。
 週刊誌記事を見て、ひやりとしたのは、ムラヴィンスキーの発言として、二、三度つきあった(デートした)けれど、何だか変な子なのでそれきりになった、とあったことだ。牧冬子は、いっぺん一緒に食事に行った、というようなことを言っていたが、恐らくこのムラヴィンスキーの発言は掛け値なしの事実だろう。じっさい、変な子である。牧冬子がこれを読んで落ち込みやしないかと思ったのだが、そこには触れなかった。
 綜合して考えると、牧冬子は、著書も出していて優秀とされている准教授の「愛人」になって、名誉欲と性欲を満足させようとしたのが、あっけなく「振られて」しまったということだろう。しかも牧にはその時「彼氏」がいたというのだから驚くが、当初は、うまく行ったら彼氏と別れて「愛人」になろうと思っていたのが、また戻る必要が生じて、あれはレイプだった、と言い始めたのではあるまいか。この時点ではその彼氏とも別れていたのだが、出版社で見せられた昔のメールのプリントの中には、その当時の彼氏からのものもあって、そこには、「そうだ、悪いのはあいつ(ムラヴィンスキー)なんだよ、分かったよ、それで冬子はずっと苦しんできたんだよな、ごめん」といったものもあり、事情は推察できた。
 しかし、駅まで行って戻ってきたことを話したのは牧自身で、それを聞かれていて、強姦だと言い張るのは無理であった。私は業を煮やして、「客観的な事実を認めることができないなら、学者はやめたほうがいいです」と書いた。
 その頃、匿名掲示板「天の声」の私のスレは、ムラヴィンスキーの話題で盛り上がっていた。そのうちムラヴィンスキーのスレもできるのではないかと思ったが、スレ立ての敷居は高く、遂にそれはなかった。そこに、どうも牧冬子のものらしい書き込みがある、と思っていたら、「客観的な事実を認めることができないなら、学者はやめたほうがいい」という書き込みが、私がそう言ってほどなく現れたから、牧冬子だと分かった。私は、あんな薄汚い匿名掲示板に書き込むこと自体を軽蔑していたから、怒り、あれはあなたでしょう、と難詰のメールを送った。
 その時牧は、すみませんと謝りつつ、「しかし、証拠はありますか。管理人からIPアドレスを開示させてはどうですか」などと言うのだが、あの掲示板がやすやすとそんなものを開示するはずがないのである。牧は、削除依頼板に削除要請を出した、と言い、実際それは出ていたのだが、あれはプライヴァシーなどについて書かれた者が要請するもので、自分で書いたものが削除などされるはずはないし、私は削除してほしいなどと思っていない。ああいう場で私の悪口を書いている者らのところへ書き込むな、と言っていたのだ。
 その時私は、「この復讐は必ずします」と書いたのだが、これが後でおかしなことを引き起こすことになる。その後で「もちろん名前を(ブログに)書きます」と送り、あとで「名前を書くのはやめておきます」と書いたのだが、実際には周囲においては分かっているし、そうでなくてもあの週刊誌記事で、学界の人ならすぐ特定できるのである。

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http://ameblo.jp/nothingrealymatters/entry-11302309621.html
この人は善意で書いているのだが、「ご母堂が亡くなったあとの小谷野の消沈ぶり(主にブログなどでの発言)は見ていられないほどでした。」って、母が死んだ時はブログでは何も言っていないし、あとで『母子寮前』を見れば月日は分かるものの、なんでこの人はその時点で分かったのだろう。知り合い?