芥川賞候補作家・宮川健一郎

宮川健一郎(筆名・柳町健郎‐たけお)

1911(明治44)3月13日 茨城県結城郡三妻村中妻(のち水海道市中妻、現常総市)の旧家の長男として生まれる。父は五箇小学校校長・宮川清次郎。

1936(昭和11)早大英文科卒。在学中、私淑する井伏鱒二をモデルとする「蘭子の家」を発表。太宰治河盛好蔵亀井勝一郎と親交を深める。同人誌『文藝主潮』『文藝』『早稲田文学』などに作品を発表。

1938年8月「遠い魂-江東教員報告書」『早稲田文学
   12月「江東」『早稲田文学
1939− 第二次世界大戦中二度応召。
   
1943年 都立紅葉川高校教諭、
   11月「伝染病院」を『文藝主潮』に発表。
1944年2月、「伝染病院」で芥川賞候補、受賞は東野辺薫。
   5月「銀河」『文藝』
   7月「子と共に」『早稲田文学
1945年1月「最後の独身者」『早稲田文学
1946年9月「若き日」『早稲田文学
1947年9月「常総線沿線記其ノ一」『早稲田文学
  東大病院で胃を切除、これを機に文筆活動をやめ、茨城県立水海道第二高等学校教諭。

1960− 教頭、校長を務める。

1971年 退職。県ハンドボール協会会長、水海道市文化協会会長。

1979年 1月、石塚文雄らの尽力で『伝染病院』を限定千部で刊行。
    12月、筑波書林ふるさと文庫より『伝染病院』刊行。新書版70ページ。

1989年10月21日、死去(78歳)

 1943年11月に太宰治から長い手紙を貰っている。井伏、亀井、中島健蔵小田嶽夫河上徹太郎らと飲んでいたら、井伏が「伝染病院」を激賞したので、太宰も読んでみた。宮川の幼い息子が病気で死ぬまでを描いた私小説である。井伏は三度泣いたと言ったが、太宰は一度だけ泣いたという。

 よく書いたね。
 と言つて宮川君の肩をたたきたい気持です。
 芥川賞なんて、どうでもいいけど、でも、井伏さんも一票投ずると言つてゐますし、私も、もちろんそのつもりで居ります。でも、そんな賞など、あてにしない方がいいかも知れない。賞よりは、僕たちの支持、またはあなたの良友たちの支持の方を、うれしく思つて下さい。