上田高弘の物言い

 三日ほど前だが、ツイッターで、『久米正雄伝』を褒めつつ、『母子寮前』のような愚作は書かず、こういうものを、と書いているやつを発見した。見ると実名で(えらいえらい)上田高弘というやつだが、美術批評家で立命館大の教授、1961年生である。2006年に『モダニストの物言い』という本を一冊出していて、こないだもらった張競さんの書評集にもとりあげられていたのだが、上田は東北芸術工科大にいたことがあるから、張さんは同僚だったのだろう。ウィキペディアを見ると、藤枝晃雄の影響下にあるとか、妙ちきりんなことがいろいろ書いてあったが、最初に立項したのは立命館のサーバなので、本人が立てたのだろう。その後も、後で削除された、悪口めかした自己宣伝みたいなものが書き込まれていたのも、まあ本人だろう。
 美術評論をする人には変人が多いので、これくらいはいいのだが、ツイッターを見るとわりあいいいことを言っている。
 さて上田には話しかけたのだが、『母子寮前』は発売されたころに「ある責任感」=「これをきちんと批判せねばならん」をもって購入したという。別にそれならそれで、ブログにでも書いておけば良いのである。『モダニストの物言い』には文学への言及もあるようだが、まだ入手できていない。私は何も「愚作」と言われたって、それがしかるべき論を伴っていれば怒ったりはしないのである。そこで、理由を言えと言ったのだがそれから二日、まだ書く様子がない。半年も前から「ある責任感」をもっていたのならいくらでも書く手間はあったろうに、書かずにいきなり「愚作」はねえだろう。それに、言えと言われたら30分で書ける。
 やりとりから判明したのは、西部邁に心酔していた上田は、西部が、「有名人が闘病記を書いてそれを公表して死への恐怖をやわらげようとするのは、死の平等性を損なうので不道徳だ」としたのを拳拳服膺していて、『母子寮前』をそういうものだと勘違いしたのであろう。
 西部先生は、ちょうど私が面識があった当時、死病にとりつかれ、手記を出していた宇野重吉を批判していたから、その見解はよく知っている。最近でいえば絵門ゆう子か。だが私は西部ほど厳しくそれについて思わないし、実はその時、では中沢事件についてあちこちに書きまくれる西部先生も同じではないか、と言って怒りをかったのだが、今考えると私の批判は正しかったと思う。
 私は「死」について特段の考えを持ってはいない。ただ怖いだけである。未だ生を知らず焉ぞ死を知らんや、である。
 しかし西部が言っているのは、「有名人」が自分で書いた手記を、生きているうちに発表することであって、そこにある種の不道徳を見出す、というのは、分からんでもない。しかし『母子寮前』は、身近な者の死ぬまでを描いたものであり、檀一雄の『リツ子、その愛、その死』とか、近藤啓太郎の『微笑』とか、吉村昭の『冷い夏、熱い夏』とか、江藤淳の『妻と私』とか、津村節子の「紅梅」とかのジャンルに属するものである。上田は西部が、夫人の癌を描いた『妻と僕』を書いたので失望したと言っているが、あれはほとんど西部のお説教になっているし、あの中では夫人はまだ生きている。
 というわけでしっちゃかめっちゃかに勘違いをしていたわけで、さて何を言うやら。黙って消えたほうがいいと思うがね。