根が左翼

 要するに問題は根が左翼なのである。マルクスとか浅間山荘とか安保とか聞くと興奮してしまうのである。ほかに吉本隆明とか柳田國男とかもある。私にはそういう「根が左翼」がないのである。
 これは、天皇礼賛をしている人にもある。逆に言えば、谷沢永一は根が左翼だから、何かマルクスに代わるものが欲しくて、それが天皇になったのである。林房雄なんかその先駆である。 
 私は先ごろ、丸谷才一も根が左翼ではないかという疑念を抱いていたが、丸谷が「風俗小説」を書くのは、やっぱり「民衆」に近づきたいというのがあるからである。それで『賜物』の書評で、よく分からないことを書いてしまうのは、チェルヌイシェフスキーが好きだからなのである。
 それで問題は、石川淳高橋和巳井上光晴である。この三人は、通俗作家なのである。しかし、根が左翼な人に訴えかけるものがあるのである。だから柄谷が、高橋はダメだと埴谷が言ったと言うと埴谷は言ってないと言って論争になるのだが、要するに通俗小説なのである。
 あと「根が左翼」は夢野久作も好きである。あれはそれこそ1969年政治の季節に再評価されたし、何か革命的に見えるし、根が左翼は右翼も好きだから(中島岳志みたいに)、杉山茂丸の息子となると興奮するのである。鶴見俊輔呉智英、百川敬仁、鈴木貞美とか、みなそうなのである。
 根が左翼は、赤塚不二夫も好きである。これも、何か革命的だからである。
 根が左翼だと、民衆ということがものすごく気になって、大衆が喜んで読んでいるものを否定してはいけない、と思うのである。私にはそういう発想はない。だから話は合わないのである。

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http://d.hatena.ne.jp/jyunku/20110430
オタどんが、瀬戸内寂聴の最初の夫について書いている。齋藤慎爾の『寂聴伝』には書いていないのかと思って図書館へ見に行ったら「S」とあったから、齋藤は知っていてイニシャルにしたのだろう。しかしこれはオタどんの言うような理由ではなくて、やはりプライヴァシーに配慮したのだと思う。
 ところで齋藤のこの本で、例の「花芯」事件について、
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110205
 瀬戸内はあたかも、反論を書かせてくれと言ったために文藝誌(『新潮』)から五年間干されたかのように書いているのだが、齋藤によると、やはりそうではなく、「花芯」が悪評を立てられたため、であるらしく、瀬戸内が齋藤十一を美化していることが分かった。齋藤慎爾もいくらか遠慮しており、齋藤十一を「傲岸不遜な人物」としているが、瀬戸内を「干した」のは、ほかでもない齋藤十一なのである。