九月下旬号本誌で齋藤慎爾氏が私の『このミステリーがひどい!』(飛鳥新社)の書評を書いて下さった。ほとんど書評は出ていないのでありがたいが、齋藤氏は推理小説が好きらしい。小説であれ映画であれ、好き嫌いというのは最終的には仕方のないもので、私は自著について「つまらない」と言われたら、それは甘受するほかないと思う。海音寺潮五郎も、自身を汁粉屋にたとえて、「あそこの汁粉屋は不味い」と言われたら仕方ないが、「あそこの汁粉屋は砂糖の代わりにズルチンを使っている」と言われたら反論する、として、「汁粉屋の異議」として大岡昇平に反論したことがある。
そこで齋藤氏が、私が面白くないとした中井英夫の『虚無への供物』について、誰それが褒めている彼それがとりあげていると列挙したのは奇観で、批評家というのは誰が褒めようがノーベル賞をとろうが関係ないものである。私が感銘を受けた西村京太郎の『天使の傷痕』について、齋藤氏は、何頁で犯人が分かったとか、オールタイムベストにも入らないだろうとか書いているが、そんなことはどうでもいいのである。
もっとも、読んでみろということかもしれないので、齋藤氏があげていた安藤礼二の『虚無への供物』論(『光の曼陀羅』所収)を読んだのだが、作品と中井英夫自身の家族歴を重ね合わせるものであった。安藤は、こういう考察抜きでは『虚無への供物』をちゃんと読んだことにならないだろうと言うのだが、そもそも『虚無への供物』をくだらないとしか思わなかった私がこの論考を読んでも「へえ、そう」で終わる。つまりこのような考察抜きで『虚無への供物』をすごいとか思っていた人しかこの考察に興味を示さないのである。したがって、ちゃんと読んだことになっていないと安藤が言うような読者しかこの論考を積極的には読まないし、読んで感心もしないのである。安藤の論考を読むと、それなら中井英夫は私小説を書けば良かったじゃないかと思えてくるばかりである。
あと私は同書で、これは面白いというのがあったら推薦してほしいと書いており、齋藤氏もいくつかあげているのだが、大抵は同書を読んで私の好み(叙述トリックが好きだとか)を推察してあげてくるのだが、齋藤氏はそのへんはまったくお構いなしに、私が嫌いだと言っているハードボイルドの、しかも峰不二子みたいな女が出てきてべたべた恋愛するのをあげてきたのでこれは参った。笠井潔はどうなのだという声が多かったが、齋藤氏も『バイバイ、エンジェル』はどうかと書いている。それでふと、『バイバイ、エンジェル』は読み始めてその奇妙な哲学披瀝に辟易してやめたことを思い出した。笠井には『国家民営化論』という優れたディストピア小説がある。
ところでふと、推理小説が好きな人は歴史小説は読まないんじゃないだろうかと思って少し周囲の人に訊いてみたが、確かにいくらかその傾向はあるようだ。歴史小説は保守的だが推理小説は革新的だといった感覚もあるようだ。呉智英さんや中川右介さんがが推理小説好きなのも、根に左翼根性があるからではあるまいか。社会の下層を描くことが多いから、一種のプロレタリア文学でもあるのだろう。もっとも、クリスティや「刑事コロンボ」はそうではないが。
九月一日のことだったか、新学期になって学校へ行きたくない子は図書館へ来て下さいといったツイートがされて評判になったが、困った話である。別に「行きたくない」のは学校だけではない。勤務先だって十分に行きたくない、行くくらいなら死んでしまいたいと思うところなのだが、そういうことは一切議論にならない。私はもちろんそういう意見は表明したが、現代においてはマスコミがとりあげない意見は存在しないも同然である。「いじめ」問題にしても、それは子供の世界にだけあるわけではないだろうといくら言っても、マスコミがとりあげないからないことにされ続けている。これ自体いじめじゃないかと思うくらいである。
先般、日本文藝家協会から消費税についての文書が来て、消費税転嫁対策特別措置法についての説明なのだが、私は以前、年収が一千万を超えた分の消費税を二年後に支払う理由が分からず、調べたところ、小売商店が消費税分を上乗せして売る、という説明を見て、文筆家にはそんなことはできないのだから、こういう説明はやめてほしいと国税庁を訴えたことがある。ところがこの特措法によると、一千万を超えようが超えまいが消費税分は支払われているという奇妙な建前で、となると一千万を超えたとか超えなかったとかわざわざ税務署に申告しているのは何なのか。私は中小企業庁に電話して訊いたが、文藝家協会担当の人が出たのに、しどろもどろで、私としては、結局はおかしな話だという結論に達した。
だいたい文筆家というのは、自分の原稿を値段を表示して売っているわけではない。小売商店だって、高くて売れないと思えば値下げをするのだ。零細出版社に、消費税が上がったので原稿料を上げてくれと言ったら、次から依頼がなくなるかもしれないし、つぶれてしまうかもしれない。どうも税務署というのは文筆家のことなど考えていないようだが、それをそのまま取り次ぐ文藝家協会もどうかと思う。
例の著作権を死後五十年から七十年へ延長する話について、まるで三田誠広が率先してやっているかのように言う人がいて、三田は自分の作品が死後七十年はおろか五十年も読まれると思っているのか、などと言うのだが、これは三田ではなく、三島由紀夫とか川端康成とか、延長で利益を得る作家の遺族らの意向を集めたもので、三田は単にその代表として代弁しているに過ぎないだろう。文藝家協会といった団体は、文藝家の団体であると同時に、著作権継承者の団体でもあるのだ。