丸谷才一と林房雄

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 丸谷才一の初期中編に「思想と無思想の間」(「文藝」1968年5月号)というのがある。芥川賞をとる「年の残り」が同年3月だからその直後のもので、林房雄をモデルとしているようだが、現実と小説の関係は入り組んでいる。視点人物は塩谷実という、推理小説の翻訳家で、黒田まゆみという担当編集者とできてしまって結婚するのだが、それが戦前、左翼から転向して戦後も右翼として活動している黒田英之助の娘だという。

 丸谷は根本絢子と結婚して戸籍では根本姓になるが、丸谷家の次男である。次男なのに「一」がつくのがかねて謎とされている。まゆみも一人娘なので、黒田姓になってくれと言われたが塩谷は拒絶した。するうち、黒田英之助は「大東亜戦争の何が悪い」という論陣を張って旧右翼として復活する。これはまさに『大東亜戦争肯定論』で一世を風靡した林房雄だろう(本名は後藤)。

 ところが後半、小説はその黒田の心酔者の青山晃という美青年の登場で様子が変わってくる。青山はデザイン学校へ通っているが、美術大学の入試に二度失敗して、同じ境遇だというのでヒトラーに関心を抱き始め、政権奪取のためにはヒトラーのように他民族への憎悪を国民の間にかき立てるのがいいと考え、朝鮮人をその対象にしようと言い出すのである。これには黒田すら驚き呆れて「気ちがい」と言い出す。

 最後は、黒田がずっと若い娘と再婚するということで何ということもなく終わるのだが、この青山という青年は、三島由紀夫のことではないか。三島は「林房雄論」を書くほど林には親近感を持っていたし、事実二年後にはあの事件を起こしてしまうわけだし、美青年ではないが、耳がキノコのようだったというあたり。

 丸谷は旧仮名づかい派だったから保守派のように思っている人もいるが、三島の割腹には「僕は武張ったことは嫌いです」と言っていたし、元号廃止論でもあった。この小説には天皇制の問題がまったく出てこないが、それは丸谷が、否定したいけれど処世のために言わずにいた部分ではなかったかと思う。

小谷野敦