「皇太子」は呼び捨てか

 石原慎太郎が皇太子を呼び捨てにしたというから、「徳仁」とか「ナルちゃん」とか言ったのかと思ったら、「皇太子が」って言っただけだという。それは「呼び捨て」ではないよ。
 だいたい「陛下」だの「殿下」だのというのは明治より前には使われなかった言葉である。天皇のことは「ミカド」と言っていたし、皇太子なら春宮(東宮)だが、『日本国語大辞典』で「東宮」を引いたって、誰も「東宮さま」だの「東宮殿下」なんて言っていない。「東宮」だけである。「今上」だって、それだけで尊称なのだ。
 まあ皇太子というのは官製用語で、たとえば今の皇太子が天皇になったら秋篠宮は「皇太弟」になるわけだが、どうするのかね。いっそのこと、伝統に則って「東宮」呼称を復活させたらいかがでしょうか。それなら「東宮」でいいわけだし。一切合財プロイセンあたりの流儀に則って天皇制を近代化してしまった連中が、伝統がどうのこうの言うのは実にかたわら痛い。

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少し前に宮崎哲弥が「テレビに出ない知識人などというのはブロガー以下」とか言ったようだが、私はその時は、宮崎が、テレビ藝人などと悪口を言われてそう反応したのだろうと思った。
 ところが、図書館で最近の朝日新聞を見ていたら、松原隆一郎の小さなインタビュー記事があって、「学者はテレビに出るのを嫌がると言われるが」とあり、松原が、テレビに出る理由を語っていた。嫌がる理由というのは、専門的なことをきっちり言うと視聴者に受けないからだというのだが、それもあることはある。だが実際は、99.9%の学者は、テレビから声などかからず、0.01%の中で、断る者がいるとしたら、そりゃ学界で嫉妬されるのが嫌だからだろう。松原が出る理由といったら、もう東大教授だから嫉妬されて出世の邪魔をされる心配はないから、ではなかろうか。
 いや実際、学者がテレビに出ること、というのは『文学部唯野教授』に描かれた構図と同じで、実はみな出たいが、ほとんどは機会がなく、出る者がいれば嫉妬するからであろう。かつての同僚(教授)は、あるセレモニーで挨拶するのがテレビ中継されるというので喜んでいたし、ある後輩は、大学院などで勉強しているのを親戚からは遊んでいるように思われていたのが、NHKで少しだけ登場したことで見直されたとか言っていた。あるいは教育テレビの「視点・論点」に教授が出演するとなると、その日のうちに学生の間に情報が行き渡る騒ぎになるわけである。
 だからこういう「出るか出ないか」という決断を迫られている人などというのは滅多にいないわけで、「なぜテレビに出るか」という問いには「出してくれるから」と答えるのが本当だろう。敷衍して言えば、あなたはなぜ小説を書くか、と作家に訊いたら「活字にしてくれるから」と答えるのが本当だろう。

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毎日新聞」の日曜版に連載されている石田衣良の「チッチと子」というのが面白い。実は最近読み始めたのだが、主人公青田というのは40歳くらいの作家で、十年間本を出し続けて売れない作家だが「直本賞」の候補に挙がって落選したところだ。石田も初めて候補になったのは40くらいの時で、三度目で受賞しているから、私小説っぽい。しかしむやみとこの主人公は「やっ」と言うが、石田の小説はみなこうなのだろうか。読んだことがないから分からない。

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 今日は吉村昭の記事があった。津村節子に話を聞くもので、津村の回想記とか、川西政明の評伝などが出ているが、吉村の半自伝『私の文学漂流』にはいずれも及ぶまいと思う。私は昔泣きながら読んだものだ。
 吉村は芥川賞に四回落選し遂にとれなかったが、実は32歳の時に短編が映画化されている。私はそれを読んで、作品が映画化されても原作者がメジャーになるとは限らないと知って驚いた。
 吉村が太宰賞をとり、『戦艦武蔵』『高熱隧道』などで爆発的にブレークするのは、40歳の頃だが、『文学漂流』の最後は、つきあいの長い編集者と酒を呑みながら、「どうなんでしょう、これで作家としてやっていけるんでしょうか」と吉村が訊き、編集者が「何とかなったかもしれないな」と言う場面で終っている。私は当初この「何とかなったかもしれない」という表現が不思議に見えたが、実に含蓄のある言葉だ。