憂鬱な話

 やっと連休とやらいうものが明けた。物書きにとって連休はつらい。今回も、取材の電話があって「11日でもいいですか」と言ったらいいと言うので、9日に「では11日に」とメールしたら返事がない。当日になってもない。
 さて書店めぐりをしたら、『サンデー毎日』で内山貴美江? とかいうのが中野明『裸はいつから恥ずかしくなったのか』を紹介していた。また、インチキ日本人論を紹介しやがって。まるで都市伝説だ。
 『文藝』に、佐藤亜有子が小説を書いていたのに驚くが、清水アリカの追悼文が二つもあったのにも驚く。著書四冊だけで十年も出していない作家の追悼文が出るんじゃあ、立松和平の追悼文が少ないという黒古先生の嘆きももっともかもしれん、と思う。あと『週刊現代』では若合春侑が書評を書いていた。何か「復活の時」なのか。

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 小熊英二が角川財団学芸賞を受賞した。まあ選考委員に姜がいるからね…。
 それでふと思い出したのは、大月隆寛新曜社から出すはずだった本を、小熊の顔を揶揄した文章を書いたので没にされた話。顔では批判になっていない、というのは分かるが、そういうことを小熊はどう思っているのだろう。私がもし小熊だったら、そういう言論弾圧めいたいことはやめてほしい、と言うかもしれないな。知っていて黙っていたとしたら、それは何か、人間として嫌だな。
 私の場合は白水社で、中島岳志と中島さおりを批判した部分を削ってくれと言われたが、こちらは正当な批判なんだから、紛れもない言論弾圧と言うべきものだ。面倒だから黙って従ったが、岳志のほうはあの通りの人間だから、まあ当然よしよしよくやっただろうが、さおりの方は、そういうことを知っても何も言わないのだろうか。だとしたら、人間性を信用できないのだよね。まあ幸か不幸か、俺の批判をしたんで本を没にされたとか削らされたとかいう話はないわけだが、何かそういうことを考えると憂鬱になるね。

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「名誉教授」というのは称号である。「就任」するものではない。何か世間には、名誉教授というのを、池田大作が名誉会長であるのと同様にとらえている人がいるのではないか。しかし東大を定年になって名誉教授になり、××大学教授、○○大学教授を歴任し、現在東大名誉教授、っていう略歴の書き方って違和感ある。
 岡田誠三の『定年後』を読むと、はあ昔は55が定年だったんだなあと、岡田自身の感懐とは逆に、老人が支配する現代に比べていい時代だったなあと思ってしまう。