城山三郎先生について

 城山三郎の遺稿『そうか、もう君はいないのか』は、夫人の1999年の死去を描いたものとされているが、事実上の城山自伝であり、未定稿をまとめたものだが、巻末に付された娘さんの手記を読むと、夫人死後の城山が半ば余生を生きているような状態だったことが分かる。
 一昨年、『本の旅人』に連載されていたエッセイが、時おりボケの症状を呈していたのも、そのまま本になっている。なかんずく、「甘粕大尉」の話は、事情を知らずに読んだ者は怪訝に思うだろう。
 それはそうと、城山先生、若い頃はもてたんだなあ、と思う。さて、城山は、愛知学芸大専任講師として経済学を教えながら、昭和32年、「輸出」で文學界新人賞を受賞して作家生活を始めているが、そこで、「鍵守り男」という短編を書いて送ったら没になり、「輸出」のような経済小説を、と言われて、ひと夏長野県の旅館に籠って中編小説を書き上げたら、編集長が「芥川賞間違いなし」と言ったのに、いざとなると候補にも上がっておらず、城山が電話を掛けて不満を言ったら、「今は大江、開高の時代だよ」と言われたと、書いてある。この「大江、開高」は別のところでも読んだことがあるから、事実だろう。ただ、事実関係を調べると、少し違う。
 「輸出」が『文學界』に掲載されたのは昭和32年7月号だから、6月発売だ。『文芸雑誌初出小説総覧』という、高いけれど便利な本を私は持っていて、それで見ると、城山は同誌9月号に「プロペラ機着陸待て」、11月号に「神武崩れ」を発表している。ついで『別冊文藝春秋』12月号に「生命なき街」。この中でいちばん長いのは、「神武崩れ」の23pである(便利なのは枚数が書いてあること)。
 昭和33年一月には芥川賞候補作が発表になり、この時まさに開高が受賞している。ところが城山は、「輸出」で直木賞候補になっているのだ。さて、夏に旅館に籠って書いた中編というのは「神武崩れ」かもしれないが、芥川賞候補にならなくとも直木賞候補になっているのだから、ちょっと様子が違う。次の昭和33年七月の芥川・直木賞では、城山は候補に上がらず、大江が受賞しているが、そもそもこの間城山には文藝雑誌への発表がない。そして次、昭和34年一月には、『別冊文春』に載せた「総会屋錦城」で直木賞を受賞している。城山には、本名杉浦英一名義での著書『中京財界史』がそれ以前にあるが、作家・城山三郎としての著書が出るのは昭和34年以降のことで、デビューから一年半、まだ単行本もない31歳での直木賞受賞なのだから、まったく順調な受賞と言うほかなく、「大江、開高の時代」は、吉村昭のように本当に不遇だった人や、大家になってから直木賞候補にされて落とされる人からすれば、ちょっと不遇を強調しすぎの話である。

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それで、「大江、開高」だが、大江は分かるとして、開高健がなぜそんなに評価されたのか、私には分からないのである。芥川賞受賞の「裸の王様」なんて、道徳の教科書にでも載りそうなお話だし、「パニック」や「巨人と玩具」も、いかにも作り物めいている。『日本三文オペラ』は、なるほど作家的力量を窺わせるが、それを超える何かがない。だいたい、開高の小説は色気なさすぎである。

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朝日文庫というのがある。朝日新聞社出版局が、今度独立して子会社となるそうだが、そこから出ている文庫である。これは出始めた当初は「朝日文庫版」といっていた。「漢文シリーズ」とか「天皇の世紀」とか、特定のシリーズものだけ出していた。「朝日文庫」では、何だか軽い感じがすると思ったのかもしれない。それが朝日文庫になり、一時は朝日文芸文庫というのもあったが、今は朝日文庫だけのようだ。気の毒にも、朝日新聞の連載小説などを単行本化し、さらに文庫化しても、しばしば新潮文庫に持っていかれてしまう。
 この朝日文庫に、ちょっと悪い癖がある。いや、宮台真司の本を出すということではない。たとえば、『朝日新聞100年の記事にみる』という十冊のシリーズがある。これのいくつかが文庫化されているのだが、私は「恋愛・結婚」は元本で持っていて、後に文庫化された。ところが「追悼録」は元本では二巻、明治・大正編、昭和編に分かれているが、この「明治編」を文庫にしたので、買った。ところが、その後が出ないのである。私は、しかたなく、元本二巻を古書で買ったが、もし文庫が「明治・大正編」なら、下巻だけ買えばよかったのだが、明治編なので、二巻買って、結局文庫の「明治編」は不要になってしまった。 
 あと『値段史年表 明治・大正・昭和』というのが朝日新聞社から出ている。これは便利な本だが、文庫では『戦後値段史年表』として戦後の分しか出ていない。また木下直之の『ハリボテの町』の前半だけを「通勤編」として文庫化して、残りは出ていない。つまり、いい本を半分にして文庫化して残りを出さない、という悪い癖である。

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