春画の賞味期限

 『週刊朝日』で青木るえかが、春画ものの新書で、初めて春画を見て驚いたと書いている。しかしあまりエロティックではなかった、とも書いている。私は、ぼかしなしの春画を見たのは十数年前で、それからいくつか見てきたが、もうすっかり飽きた。あれはそう面白いものではないのだ。どれもこれも男女がセックスしているのを誇張して描いているだけ。文化というほどのものではない。浮世絵全体にしてからが、少数の例外を除いては、実は大したものではないのであって、日本なら彫刻とか建築のほうがずっと価値は高いのである。まあ何とか近世文化の中に「優れた庶民文化」を見出そうとした明治の知識人が、西洋人が褒めているというので喜んで騒いだだけである。西鶴とか近松なんてのも、平安朝文藝に比べたら児戯に類する程度の低いものだ。
 ただまあ、元左翼が、ゆえあって(国際日本文化研究センターに勤務するとか)「日本派」になる必要が生じた時に、何とか辻褄を合わせるために、近世庶民文化の礼賛とかに走るのである。プロレタリア作家が、戦時体制になって、農民作家に転向したのと似たような現象と言えようか。