人にはそれぞれ理由が・・・

沖雅也が自殺した時(1983年)私は大学二年生だったが、東京へ向かう電車の中で二人のおじさんがその話をしていて「なんで自殺なんかするのかねえ、女でも作りゃいいんだよ」と言っているのを聞き(その時点ではまだ第一報しか入っていなかった)、沖雅也が女がいなくて自殺したと思っていることに少々驚いたことがある。

 ほかにも、北千住の駅の地下道で走っている人を見ながら、「何もそんなに急ぐことねえじゃねえか」と言っているおじさんを見て、いやその人には急ぐ理由もあるんだろうから何も知らずに言うのはどうか、と思ったことがある。

 最近ではあまりいなくなっただろうが、そのころはそんな風に、他人には自分の知らない理由があると思いつかない人がいたのだが、まあ単純に頭が悪かったのだろう。