富永健一自伝

 富永健一というのは、偉い社会学者である。三浦淳先生は、世間は上野千鶴子宮台真司社会学者だと思っているのだ、小谷野はああいうのは社会学者としては変わった部類だというが、それは少数意見だと言うのだが、私は意見ではなくて事実を言っているのである。仮にそういうことを言い出したら、ドイツ文学者というのは池内紀みたいなものだ、ということになるのだが、それでいいのであろうか。あれはドイツ文学者としては変わった部類で、むしろエッセイストだというのは、少数意見でしかないのであろうか。
 さて富永は地味だがまともな学者である。その自伝を入手したが、何か文章にしまりがない。

 大学教師の人生は、もっぱら授業をすることと文章を書くことであり、平々凡々たるものにすぎない。そうだとしても、自分の人生のある段階から、私は自分がやってきたことを文章にしてきちんと記録しておけば、それらが人に読んでいただく価値のあるものになり得ると思うようになった。もちろん書く以上、人に読んでいただくことを前提にするのであるから、人が読んで関心をもって下さるような意義のあるものであること、少なくとも興味をもって読んでいただけるようなものを書くことが、最小限度の必要条件である。

 なんか、晩年半分ボケた武者小路実篤が、これに似たような文章を書いていた。

社会学わが生涯 (シリーズ「自伝」my life my world)

社会学わが生涯 (シリーズ「自伝」my life my world)