創作「これはフィクションです」(3)

 その夏は、どえらい暑さだった。地球温暖化がどんどんひどくなっているのではないかと、泉は不安になった。妻のいるフランスもかなり暑いらしかった。
 泉には、友達がいない。もちろん、学生時代の知り合いとかで、何かあったらメールするとかいう相手はいるが、酒を呑まないせいもあり、時どき会って酒を呑むという友達はいない。非常勤講師でも、講師控室で、ほかの非常勤の人と話が合えばラッキーだ。もう二十年くらい前に、さる大手大学で非常勤をしていた時、当時は講師室が喫煙可だったから、喫煙者の集まるテーブルがあり、そこで話していたのが楽しい思い出になっている。その時知った蒲生さんという、ノースロップ・フライの研究をしている人は、今では母校の落柿舎大学の教授になっている。いや、准教授だったかもしれない。
 紅子さんという人がいる。元吉原の高級ソープランド嬢で、今は引退して五十歳、高校生になる息子のいるシングルマザーで、二年前からYouTubeをやり、日本各地の元遊廓の写真を撮るアマチュア写真家でもある。もちろん仮名だが、「みなさん紅子です、お元気で、しょうかー」という語り口が柔らかで、チャンネル登録していつも観ている。子供のころは劣悪な環境だったらしく、世間からも爪はじきされていたようで、
当時から、こんな自分でも大人になって裸になったら人から相手にされるようになるんじゃないかと思っていて、中学卒業後、色々あってソープ嬢になり、三十五歳まで勤めていたという。
 その紅子さんが、猛暑の中、岐阜の金津園とか名古屋の中村遊廓とか、三重県渡鹿野島とかに出かけていって写真をとっているから、やはりソープ嬢をやっていたくらいで、頑丈な人なんだなあ、と思っていると、岐阜だったか、八十代後半くらいのおじいさんがソープの外で、「今日は出勤している女の子が少ないから」順番が回ってくるのを待っていた、という話をしているのを聞いて、そんなおじいさんでもソープへ行くなら、俺も行ってみるか、と泉は思った。
 泉は、世間の人が、風俗街というと、渋谷道玄坂を思うのはともかく、新宿歌舞伎町を想像するのが不快である。歌舞伎町はほとんどソープランドはないからである。そこで吉原のソープのウェブサイトをあちこち見て、調べた。「総額」は普通「入浴料」の三倍で、総額が書いてある店と、入浴料が書いてある店とがある。
 ところで、ソープといえばお風呂である。お風呂でソープ嬢といちゃついて、マット遊びからセックスというのが普通の流れだが、客が、お風呂はいい、といえばお風呂なしになることもあるらしい。
 泉は、実は風呂が嫌いである。思い返してみると、若いころから嫌いだったわけではなく、次第に嫌いになっていったようだが、それは阪神とか東北とかの地震を経験したことや、閉所恐怖症がひどくなったことと関係しているだろう。何しろ、入浴中に大きな地震があったら、それは恐ろしいことで、全裸で外へ飛び出すようなことになる。
 全裸になるのが嫌いなのかな、と思ったが、セックスの時だけは全裸になるのが楽しいから現金だし、そういう時に女と二人で風呂に入るのも好きなので、単に性欲が強いだけじゃないか、と思うのだが、まあそうなのだろう。
 とはいえ、病気は怖い。いくらエイズが昔のように死の病でなくなったといったって、エイズであれ梅毒であれ、性病なんぞにはなりたくない。だからセックスする時は、妻以外の相手とはコンドームをつける。ソープでは「ゴムなし」というサービスもあるというが、恐ろしいことである。そのへんが、泉がこれまでソープへ行かなかった理由の一つではあろう。
 さて、一週間ほど検討を重ねて、「黄金宮殿」という、総額五万円のソープへ行くことにした。なお、指名についてだが、ソープ嬢の指名は、先の元AV女優のように、この人、という目当てがない場合は、特に意味はない。目隠しをした写真で、これがいい、と思っても、実際には全然違うのが来ることもあるし、現在のソープで五万円も出せば、そうひどい嬢が来ることはないので、店任せでいいかということにした。
 明日はソープランドへ行くという日は、風呂に入ってシャワーで体を洗った。まるで初めてセックスに臨む童貞の若者のような気持ちになったが、ふと、これが生涯最後のセックスになるのかもしれないな、と頭を洗いながら考えた。湯舟に入るのは面倒なので、年に一回くらいしかないし、どうせ明日は風呂に入るのだと思った。
 ヘルスには何度も行っているしストリップ劇場のピンクルームというところでサーヴィスを受けたことはあるが、ソープは初めてだから、蒲団に入っても眠れず、ハルシオンを呑んで寝た。
 朝起きても、ちょっとどきどきする。ソープの予約は午後三時からなので、それまで本を読んだりネットを見たりして時間をつぶす。翻訳家の越懸澤(こしかけざわ)恭子という泉の二つ下の女性の、ノーベル文学賞についての論評が目に入り、泉はどきっとした。この人は昔から知っていて、何となく憧れの気持ちを持っているから、こういう高尚な話題を書いている人と、これからソープランドへ行こうとしている自分との落差が、悲しくなったからである。なるべくそのことは考えないようにして、昼は軽いものを食べて出かけた。
 吉原のソープは、だいたい三ノ輪の駅まで迎えのタクシーかハイヤーが来てくれる。泉は駅から出てタクシーが来るだろう場所に行って立っていたが、やりきれなさと罪悪感を感じてならなかった。タバコを喫っていた当時なら、喫うことで精神をハイにできたのだが、それができなくなっているため、しまったなと思ったが、タバコをいったんやめたあとでいきなり喫うと急性肺炎になる危険性があるからできない。こんな苦しい思いをしてなんでソープランドへ行かなければならないのかと思い、紅子さんが会ったという老人のように、若いころから気軽に行っているような人が一種羨ましくもあった。
 それでも、どんなに緊張していても時間はたち、タクシーに乗る。乗っていて、ふとタクシー内で気を失って死んでしまった西村賢太のことを思い出し、自分がそうならないように祈った。店に着くと、黒服に出迎えられて、待合室へ通った。ふと気が付くと、握った右手の中が汗でびっしょり濡れている。
 (奥さん、もうびっしょりじゃないですか)
 などという官能小説の一節を想像してみたが、少しも楽しくないし、エロい気分にもならない。するうち、ソープ嬢が来た。座って手をつき、
 「本日はご来店ありがとうございます。まおみと申します」
 などと言い、泉の先に立って部屋へ向かった。
 「今日はお仕事、お休みですかァ?」
 と訊かれ、
 「いえ、もう定年になりました」
 「まあ、悠々自適なンですね」
 と答える。「ン」を片仮名にしてみると、それらしく見える。
 言われるままに服を脱いだが、もとから別に立派な体ではなかったとはいえ、さすがに若いころとは違うであろう体をさらすのが恥ずかしく、ふと見るとペニスは気おくれのために萎え切ってウィンナソーセージの一片のようになっている。
 まおみという源氏名ソープ嬢は、泉と一緒に風呂に入り、「潜望鏡」という遊びをやってくれた。泉のペニスも、少し元気になってきた。それからマット・プレイになるのだが、何だか早く帰りたくなってきた泉は、マットを飛ばして布団に行ってくれ、と頼んだ。
 だが泉の頭には、
 (もし自分が教授だったら、こういうところへ来ているのはややスキャンダルだな)
 という想念が浮かび、だが非常勤講師でしかないからスキャンダル性はまったくない、とか、そのことを淋しく思う気持ちが芽生えて、ペニスはまたもしぼんでしまった。
 布団へ移ってペニスがしぼんでいることに気づいたソープ嬢まおみは、口でせっせと奉仕してくれ、ペニスはまた少し元気になった。まおみはコンドームを取り出して着けたが、その瞬間、再びペニスはしぼんでしまった。泉は、いくらなんでも焦った。もとから、こういうことが起きるんじゃないかと恐れていたのである。
 まおみは、口を使ってペニスを回復させてくれたが、コンドームを着けるとまたすぐしぼんでしまう。これが二度繰り返された。泉は、激しくタバコが喫いたくなった。だが、二〇〇〇年代になってから、喫煙するソープ嬢を嫌がる客のために、ソープも喫煙と禁煙の室に別れており、ここは禁煙だった。どのみち、実際に泉は喫煙はできないし、タバコも持ってきていない。まおみは、
 「ねえ、ゴムなしでもいいんだけど」
 と言った。泉は、背筋にぞうっと寒気が走り、いや、それはいい、と言って、
 「口で出してくれればいいから」
 と答えた。まおみはちょっと困った風ではあったが、実際には緊張して「できない」客は時どきいる。西村賢太が日記でソープへ行って、「当たり」とか「外れ」とか書いていたのは、実は中折れ、つまり自分が勃起できなかった時は「外れ」だということをインタビューで言っていた。もっともそのインタビュー自体が、四人くらいの風俗嬢に囲まれてのもので、エロ写真週刊誌に「クズ芥川賞作家の・・・」と恐ろしいタイトルをつけて掲載されたもので、もちろん西村賢太には黙ってしたことである。泉はそれを見て、世間というものの恐ろしさを感じたものだ。

 さて、まおみは口で出すよう努めたが、泉があまりに緊張し、さらにできなかったことで失望しているため、それもうまくいかなかった。
 「どうぞ、またおいでください」
 と言われて、「まおみ」と書かれ、店の名とメールアドレスなどが書かれた名刺を渡されて、タクシーに乗って帰った。
 家に着いた時は七時前だったが、精神的に疲れていて、服も着かえずにベッドに横になると、そのまま寝てしまった。
 目を覚ますと真っ暗で、もうすぐ九時になる頃おいだった。近所のドミノピザに電話してピザを出前してもらって食べた。
 その晩泉は、自分が定年を迎えて最後の授業(最終講義)をやり、女子学生から花束をもらう夢を見た。昔、NHKの朝の連続テレビ小説まんさくの花」で、高校の数学教師であるヒロインの父が定年を迎えて、最終講義として「π」の話をする逸話があったが、高校教師に最終講義なんてあるんだろうか、と後で思った。
(つづく)