創作「これはフィクションです」終

 ふと、蕨ミニシアターというストリップ劇場へ行ってみようか、と思った。これは九年くらい前に一度行ったことがある。埼玉県のさいたま市の南にちんまりと存在する蕨市蕨駅から歩いて少し行ったところにあるが、狭い階段を昇って行って、貧弱な楽屋みたいなところから入っていく実に小さな劇場だった。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に「まことに小さな国が」とあるが、日本はツバルやバルバドスに比べたらまことに小さくはない。蕨ミニシアターは、その点、まことに小さい。だが、調べてみてすぐ、昨年の春蕨ミニシアターは火事に遭って焼けてしまい、いま再建運動をしていることが分かった。泉は、それではあの古ぼけた佇まいはもうなくなってしまうだろうと、寂しく思った。
  前に触れた榊敦子というトロント大学教授の英語の新刊『鉄道文学という物語理論』(Train Travel as Embodied Space=Time in Narrative Theory)というのが手に入ったので、まえがきを読み始めたら、二〇一七年から五年ほど、部位は分からないががんの治療をしていたと書いてあり、ちょっとショックを受けた。世話になった医師の名前がいちいち書いてあって謝辞となり、抗がん剤と手術で、一時は髪も抜けて、ウィッグで世話になった人の名前まで書いてあり、今では再発の可能性はゼロに近いとあったけれど、母語ではない国でそんな治療をしていて、さぞかし不安だったろうと考えると、昔からこの女性に対して抱いていた「(精神的に)勁い人だなあ」という感嘆の念がため息のように漏れる。自分なら、とても異国で三十年、四十年と一人暮らしをすることなど考えもつかないし、こんな風に冷静に自分のがん体験について英語で書くなどということは考えられない。やっぱり、海外で出世する人はそういうところが違うんだなあ、と少し落ち込んだりもする。
 そのあと、冬になった。人間は冬には一度くらい風邪をひくのが自然でいいと、泉は考えているが、コロナになってからは、風邪とコロナと区別がつきにくいから、風邪もひかないように気を付けていた。
  十二月はじめの月曜日のちょうどお昼ころ、電話が鳴った。とると女性が出て、営業かな、と思ったら、何とかがん保険の資料請求ありがとうございます、というようなことを言う。ぺらぺらしゃべり続ける相手をさえぎって、ちょっ、ちょっと待ってください、私が資料請求をしたんですか? と訊くと、はいと言うから時間を訊いてみると、夜中にウェブ上から請求があったといい、私の住所と生年月日まで言った。泉は住所も生年月日もある程度公開しているので、誰かがいたずらで請求をしたのかな、と思い、電話を切ったが、そのあとネットでその会社の電話番号を調べてみると、割と悪質な会社だったから、あれも嘘かもしれない、と思った。
 ところが翌日になると、A5版の大きさの霊園とか墓石の資料が届き始めた。はじめ五通くらい来たが、その次に来たのは、泉が若いころ知っていた女性の名前を私の宛名の下につけて「×××を囲む会」と書いてあったから、あっ、これはいやがらせだなと気づいたのである。その「囲む会」だけは、宅配便の人から手渡しされるくらい分厚くて、開けたら、スティールのメジャーや、墓石の見本が三個も入っていて、げんなりした。こういうのは「お前は墓へ行け」という脅迫の意味を持つのである。泉はこれを送ってきた千葉県野田のキンポール三宝堂というところへ電話したら、夜中の一時過ぎにウェブから資料請求したという。私は近所の警察署にも電話したら、生活安全課で、記録すると言ったが、少したって掛け直してきて、詳しい捜査はしないことになった、と言った。
 だが翌日も五通くらい霊園や墓石の案内は届き、そのうち一通には泉の前の妻の名前に「××××ファンクラブ」などと書いてあった。さらに翌日来た四通のうち一つは、前の妻と別れた時に脅迫状みたいのを送りつけてきた弁護士の名前が「××××を愛する会」として記入してあった。これは「犯人」がウェブ上で私の名前のあとにつけて書いたものである。
 「鮫嶋石材工業」「朋友」「中空の会」「株式会社犬塚」「終活と相続」……といった具合である。
 泉も精神的に参って、ズームでフランスの妻を呼び出して窮状を訴えた。妻は、もうそろそろ終わりになるよ、と言い、しかし夜中にパソコンに向かってちまちま他人の住所や生年月日を打ち込んでるって寂しい人生だねえ、と言った。それで泉は救われた気分になった。
 三月になって、妻がフランスから帰って来る日が決まった。泉は、成田エクスプレスに乗って、空港まで迎えに行った。妻の姿を見た時、ああソープ嬢とセックスしないで良かった、と思い、そう思ったことをソープ嬢まおみに対して申し訳なく思い、そう感じたことを妻に対してすまなく思った。
 帰りの成田エクスプレスに妻と並んで乗っている時、ああこれで自分はもうセックスをすることはないんだなあ、と泉は思った。泉は晩生だったから、初めてセックスをしたのは三十歳を過ぎてからだった。最後にしたのは五十ちょっと過ぎだったから、セックスをしていた期間というのは僅々二十年ちょっとでしかなかったんだなあ、と思い、まあそれもしょうがないか、と思った。するとちょっと目に涙が浮かんだので、妻に見えないようにそっと脇を向いた。もちろんこれはフィクションである。
 (終わり)