創作「これはフィクションです」(2)

 泉が予備校生から大学生になるころは、吾妻ひでおがブームになったり、大久保康雄訳のナボコフ『ロリータ』が新潮文庫に入ったり、『ミンキーモモ』や『コロコロポロン』がアニメになったりして、ちょっとしたロリコン・ブームだった。それが数年後に、宮崎勤の事件が起きて、特に少女に悪いことをしたわけではない単なる趣味のロリコンまでが白い目で見られるようになった、というのが一般的な世相史の見方である。
 だが、現実はそれほど苛酷ではなく、その後も少女ヌード写真集は刊行され続けたし、むしろそれらが違法とされた今世紀に入ってからのほうが、事態は苛酷になっていった。「ロリコン」という語には、まだかわいげがあったが、それが「ペドフィリア」とか「ペド」とか言われると、もうそれは紛れもなく犯罪者扱いであり、フランスでは故人となったマルグリット・デュラスが、『愛人』という、かつて日本でもベストセラーになり映画化もされた私小説で、少女性愛を肯定したというので非難されたり、日本では邦訳のないマツネフという作家が、少女愛趣味で知られていたが、その慰みものにされたという女の著作によって攻撃され、キャンセルされたりし始めた。
  そういえば、白土三平の『サスケ』には、サスケをはじめとする少年少女が全裸になるシーンがあったが、あれなんかはどうなるんだろう、と泉は考えて、書庫を探してみたが、『サスケ』は見つからず、面倒になって寝てしまった。
 ところが最近、妙なことが起きた。LGBTと言われるが、それの後ろにくっつけて、LGBTQ+という、言い方をする人々が現れて、その「Q」はクイアだとかクエスチョンだとか、あるいは「+」にはペドフィリアも入っていて、これも性的少数者だから差別するなと言う人々が出て来たのである。一般的には、ペドフィリアというのは、十三歳未満の少女・幼女に性欲を覚える男だということになっているが、泉自身は、五、六歳の幼女に欲情するのと、十二、三歳の、小学校から中学校へかけての時期の少女に何かそういうものを感じるのは、区別すべきではないかと感じている。ナボコフの『ロリータ』が日本で翻訳が出た時、作家の小島信夫が、「人間の女が一番美しいのは十三歳の時だということは誰でも知っている」という驚くべき宣伝文を書いたのだが、泉は最近、それもあながち間違ってはいないかもしれない、と思い始めている。実際、街角でそれくらいの少女の、はっとするほどの美貌なのに遭遇することがあって、こういう美しさは大人の女の美しさとは違った独特なものだと思うからだ。
 しかしむろん泉は、そういう少女を性的に何とかしたいと思うわけではない。ただ見て、はあ、と思ったりするだけだ。そしてさっきの、ペドフィリアを差別するなと言っている人たちは、そう感じているだけの男をペドフィリア、実際に少女や幼女に手を出してしまう変質者をチャイルド・マレスターと呼んで区別している。
 ここで泉が、十二歳くらいの美少女と出会うといった展開にすると、小説らしくなるのだが、それはいかにもウソくさいし、「これはフィクションです」と言って通せるようなものではない。
 泉は、このところ、次第にフィクションが苦手になってきている。四十代のころから、本当の話のほうが面白い、という感覚があり、それは要するに少年が喜ぶ波乱万丈の作り話に<飽きてきた>という要素が大きいのだが、フィクション小説を読んでいて、
 (作り話だな)
 と思うと、太宰治の言う「トカトントン」みたいなものが聞こえてきて、つまらなくなってしまうのである。
 その一方、ごくたまに、これは実に面白いフィクションだった、と思える小説も、ないことはない。さらに、ドラマや映画などは、この二十年ほどでだいぶレベルが上がって、フィクションでも面白くなってきていたりする。だが小説に関しては、フィクションが苦手だという意識は強まる一方なのである。もっとも世間には、事実を巧みに変形したフィクションもあり、それだと、その事実の部分が面白い。たとえばさっきの「誰のものでもないチェレ」にしても、おばさんがチェレを虐待したり、老人を毒殺したりするのを、おばさんの家族が知らんぷりをしていたりするのはおかしいのである。そういうおかしさを、見て見ぬふりをするのも、広い意味での才能かもしれない、と思ったりした。
 ところで、唐突だが泉も時どきオナニーをする。妻が留守だからするのではなくて、妻とセックスをしていても、男はそのかたわら、オナニーもする、ということは、女は知らないのか、あるいは世間には、妻としている間はオナニーはしない、という男もいるのかもしれない。森鴎外の『雁』には、ヒロインのお玉が朝起きて布団の中でオナニーをするシーンがあるが、一九一一年に発表されてから、一九九六年に榊敦子(現在トロント大学教授)が『行為としての小説』(新曜社)で指摘するまで、八十五年の間、誰も気づかなかったらしい。
 一ノ瀬太郎の『文久三年のブリュメール十八日』には、朝目ざめた主人公が、オナニーをしようかと考えて、やめにするというシーンがある。一ノ瀬は性的なことがらをわざと不快な風に描く作風でも知られており、電車内での痴漢や、妹の陰毛の写真を懐に忍ばせている主人公、両性具有の人物と性交する男などを描いているから、オナニーなどはあまりに日常茶飯的に過ぎたと言えるかもしれない。(もちろん「一ノ瀬太郎」というのは、この小説のための仮名なので、適宜「大江健三郎」に置き換えてもらって構わない)。
 泉がオナニーを覚えたのは、のぼり棒でのそれを最初とすれば小学校五年くらい、はっきりと布団の中でペニスをこすりつけたりすることを言うなら六年生の冬あたりで、まあだいたい十二歳とすれば、四十八年間のオナニー歴を誇るわけである。それが「誇る」に足るものかどうかはむろん疑問符がつく。
 泉のオナニー生活の黄金時代は二十代の前半で、むろん泉は童貞だった。自室にテレビとビデオデッキを設置して、深夜過ぎにレンタルビデオ店へ行き、ためつすがめつして二本のアダルトビデオを選び、タバコを喫いながらいそいそと帰宅すると、三時間ほどかけてじっくりオナニーに耽るのである。それだけの体力と精力が有り余っていたということである。
 それから以後は、オナニーに用いる時間はだんだん減っていく。三十代のころは、せいぜい三十分くらいになっていたか。その当時は、もうレンタルビデオではなく、セルビデオをあれこれ買ってくるようになっていたが、中には買って失敗した、というようなものも結構あった。
 四十代は、ちょうど最初の<妻>と別れたあとで、「婚活」のつもりで始めたことが、結局は複数の女性とセックスするというような生活になっていて、それで刺激されたのだろう、性的な刊行物をやたら購入したり、ひどく女の顔に美を感じるようになり、駅に置いてあるチラシの類まで、美人目当てにとってきてスクラップしておいたりした。刊行物というのは、写真週刊誌が展開してエロ雑誌になったものをコンビニで買ってきたり、アダルトビデオのDVDをアマゾンで買ったりするのはもとより、冨士出版というところから出ている大型で箱入りの、熟女ヌード写真集というのを、あれで四、五冊くらい通販で買ったり、SMもののエロ本を買ってきたり、さらにそこから関心のない部分を破き取ってしまい、残りをスクラップブックに保存しておくとか、あとから考えると気持ち悪いことをいろいろしていたが、あれはいわゆる「四十八歳の抵抗」的なものだったのかもしれない。
 こういう、性的に悪趣味なものを、泉は「ヘドニスティック」だと心の中で思っていたが、ヘドニスティックは「快楽主義的」だから、ちょっと違うだろう。しかし、そういうものを表現する言葉が、何か欲しかったのである。
  その当時は、吉原のソープランドのウェブサイトをブックマークに入れていて、好きなソープ嬢の写真を印刷したりしていた。その当時は、多分昔よりずっとソープ嬢というのは美人になっていて、カネさえ出せばこの女とセックスできるんだ、と思うと気持ちが爆上がりするのであった。といってもソープ嬢の写真は、目隠しがしてあったりするし、ソレイユという店以外は修正をかけてあるという話だった。しまいには、泉のお気に入りだったAV女優がソープ嬢になり、週に一回くらい挨拶の動画を、手で顔を隠しながら上げるのを楽しみに観ていたりした。よっぽど、何とか妻に隠れて、七万から八万くらいする高級店ではあるが、「買春」に行こうかと考えたりしたが、実行しないうちに、その娘は退店していなくなってしまった。
 AV女優でも、お気に入りができると、その女優のものばかり買うようになった。宇美野ひかりが一番好きで、あとは大石美咲、大越はるか、御剣メイ、川上ゆう西野翔、×さやか、マイナーなところでは小倉さとみ、鈴木真央といったあたりだが、宇美野、大越、御剣は主演なら必ず買う感じ、川上や西野はあまりに多いからものによる、大石の場合、幾人もの男優の精液を漏斗を使って流し込むのを本人が嫌がっているというのがあって、ぞうっとして捨ててしまった。若いころはけっこうレイプものとかも楽しんで観ていたのが、年をとってくると、当人が嫌がっているAVは、たとえ演技でも受けつけなくなってきたし、そのころAVの裏面などが報道されて、女優がいかにも嫌そうな顔つきをしているのは半分くらい強制だと分かり、それではいけなくなった。大越はるかは美人ではないのだが、体がよくて、しかし雰囲気が明るくて良かった。泉には、暗い雰囲気でセックスをするAVは概して受け付けなかった。×さやかはロリ系美少女として人気があったが、泉はある場面を見て、知的障碍者ではないか、と思ってから、虚心に楽しめなくなった。
 四十五歳で今の妻と結婚してからは、だんだん、そういうものからは遠ざかった。五十歳を過ぎてからは、アダルトビデオのDVDを買い漁るようなこともなくなっていき、お気に入りのDVDを繰り返し観る(ないし、使う)ようになった。オナニーに用いる時間は、どんどん短くなっていき、若いころなぜ三時間もオナニーに掛けられたのか、不思議に思うくらいで、むしろ、早く日常の時間に戻りたいと思うようにさえなった。
 さて、泉は若いころ、演劇を観に行くのが趣味だった。趣味というより、演劇評論家になりたいとすら思っていた。映画も観たが、演劇のほうが好きだった。だが、演劇評論家になるような人というのは、年間三百本くらいの演劇を観に行くらしい。泉には、そんな経済力も体力もなかった。それに、十年ほどして気づいたが、演劇評論をやる人は、そのためにそれで手一杯になってしまって、演劇以外の仕事ー小説とか、評論とかーができなくなるらしいと気づき、演劇評論は諦めた。それでも好きで月に一度くらいは行っていたが、四十代になるころから、飽きてきた。泉は歌舞伎が好きでそれが中心、それに小劇場とかいろいろなものが混ざっていたが、どちらに対してもあまり熱を持てなくなってきた。歌舞伎は、明らかに飽きていたし、それ以外の演劇は、時代として、八〇年代のような輝きは失っていた。
 そこへ、コロナがやってきて、泉は、ほとんど歌舞伎を含む演劇へ行かなくなっていた。だが、それがやや収まって、国立劇場が一時休館して新築されるという、お別れ公演で、「妹背山婦女庭訓」を二か月かけてやった。泉はこの歌舞伎がわりあい好きである。数年前に、大島真寿美という作家がこれを書いた近松半二を主人公にした小説を書いて直木賞をとったが、これも読んでいる。前半の、「日本版ロミオとジュリエット」と言われる部分は、さほど興味はない。後半の、お三輪という女が、求女と名のっている美青年を橘姫と取り合って、オダマキを片手に追っていって、官女たちになぶられ、金輪五郎に殺されるという、あそこが好きなのである。大島真寿美も、お三輪を中心として描いている。
 そこで、国立劇場のチケットをとって出かけたのだが、これがえらいことになった。泉の最寄りの鉄道の駅は平田山なのだが、そこはちょっと遠い。家からちょっと歩くと、「すぎ丸」という、中央線と井の頭線をつなぐ南北路線バスの停留所があるから、そこからバスに乗り、丸ノ内線南阿佐ヶ谷から地下鉄に入ることにした。だが、国立劇場の最寄り駅は、半蔵門線永田町駅だ。地下鉄路線図を見ると、丸ノ内線赤坂見附永田町駅は、つながっていることになっている。東京周辺に住んでいる人なら、この、二つの駅が「近いからつながっている」という表記がいかに恐ろしく、実際には一駅分くらい歩かされることをご存じだろう。
 実際、赤坂見附で降りて、地上へ出た時は、このまま東京の真ん中で遭難するのではないかと思った。国立劇場がある永田町のほうへ歩いて行くと、歩道橋があって、それを上り、さらに行くと長いゆるやかな上り坂がずっと続いていた。
 タバコのニコチンには、筋肉を増強する働きがあるらしく、タバコをやめてから泉は脚が弱くなったー年のせいと、不断使っていないせいかもしれないが、以前大阪で、ちょっとした山の上にある図書館へ行った時、道に迷って、遭難しそうになったのは、三十代の時である。ちなみにその山の上には、大阪教育大学附属小学校という、宅間という男による児童殺傷事件があった学校がある。それは九〇年代の、まだインターネットが普及していない当時だから、図書館に泉が探している本があるかどうかは、行ってみなければ分からなかったのである。
 国立劇場へ行ったのは六年ぶりで、六年前は妻と一緒に、半蔵門の駅から行ったが、永田町方面から行くと、裏手の、国立演芸場の入口脇を通っていく。以前はここは地下へいったん降りて少し地下道を歩き、階段を上るようになっていたのが、様子が違っていて、急に上りの階段になっていた。
 疲れ果てて、ようやく三階の一番後ろの席にたどり着いて、時計を見ると、もう二十五分も開始時刻を過ぎていた。泉は閉所恐怖症だから端の席をとったが、二つ向こうに七十過ぎくらいのおじいさんがいて、盛んに「音羽屋!」とか「播磨屋!」とか「待ってました!」とか声を掛けている。泉も昔からかけ声はするほうだが、かけ声をする人をこんな近くで見るのは珍しい。あまり最近は歌舞伎へ来ていないし、コロナの当時はかけ声が禁じられていたから久しぶりだが、泉は筋書きを買わずに上がってしまったので、今舞台にいるのが誰か、すぐには分からない。ちょうど求女を橘姫とお三輪が争っているところで、お三輪は印象的な緑の服、これは尾上菊之助である。橘姫は中村米吉で、泉は米吉を、かわいいと思っている。以前、「風の谷のナウシカ」を菊之助が歌舞伎にしたのを昼と夜と観に行ったが、そのあと一部だけ上演した時、ナウシカを演じたのが米吉で、これは行かなかったのだがブロマイドだけ取り寄せた。女方になった米吉は、泉が若いころ好きだった女性に似ていて、その女性にはずいぶん迷惑をかけたものだが、それで好きなのである。
 一度目の休憩は長かったが、それで人心地ついた泉は、次の幕からは軽く声をかけ始めた。歌舞伎のかけ声は、老巧な人だと、枯れたような声で「なりこまやッ」と早口に言ったり「…わやあ」と下からせり上げるように叫ぶ。二つ向こうにいる人は、それほど技巧派ではなく、全力で短く叫んでいる。泉はわりあいのんびりと「なりこまや!」「おとわや!」とやっている。上方ではかけ声はもっとのんびりしていると言われるので、少し上方風かもしれない。タイミングはちょっと難しいが、ほかの人のにかぶせてやればまあ問題はない。出とひっこみでかけるのが無難で、昔はよくそれをやったが、その日はそれはやめにして、つけ打ちの二つ目か、決まったところを適度に狙った。
 ちょっとおかしいのは、三十代、四十代のころは、自分のような若造が声をかけたりしていいんだろうか、とびくびくしながら、汗をかいて声をかけていたが、今では六十になっていて、まあこんな高齢化社会ではひよっ子なのかもしれないが、別にもうどうでもよくなっているのが、我ながらおかしい。妻が一緒に来て声をかけるのを聞いてもいるが、泉のかけ声に「手練れ」感はないそうである。なに、なくたっていいさ、としかもう思わない。
 この芝居は、歌舞伎(元は浄瑠璃)では、一番古い時代を扱ったものだろう。何しろ悪役が蘇我入鹿で、それを倒すのが藤原鎌足と藤原淡海(不比等)で、時代考証はいい加減な上、娘は明らかに江戸時代の和服を着て出てくる珍妙な劇である。田舎娘のお三輪が、実は藤原淡海である求女に恋をして、襟に糸を縫い付け、緒環を持ってあとを追っていくが途中で絲が切れて、御殿へたどり着く。求女を探していると六人の官女に見つけられ、これこれをすれば婿どの(求女)に会わせてやると言われて色々変なしぐさをさせられ、最後はなぶられて、怒り心頭に発して御殿へ上がっていくと、漁師鱶七、実は金輪五郎という善玉方の武士が、入鹿を倒すためにはお三輪のような「凝着(ぎちゃく)の相(そう)」の女の生き血を何とかいう笛に振りかけるといいというので、お三輪を切り殺してしまう。このお三輪の哀れさがいいのだが、それがなんでいいのか。
 お三輪は、『不如帰』のような、肺結核で死ぬヒロインでもないし、相愛の男と引き裂かれて死ぬ女でもない、だが死ぬ間際のセリフを聞くと、求女とは単なる片思いではなく、セックスをしていたらしいことが分かる。つまり「捨てられた」わけで、捨てられて、相手とは実は身分違いといった特殊な哀れさがある。もっとも、男女立場が逆だったら、「ストーカー」と言われてしまうだろう。そこだ。
 しかし、お三輪をいいと思う観客の中には、ある嗜虐的な気分もあるんじゃないか、と泉は思っている。馬鹿め、という気分だ。不断は、簡単な詐欺に引っかかった人のニュースを見て、
 (馬鹿め)
 と思っても、それは言えない。家庭内で言っている人はいるだろう。お三輪は、そういう気持ちを解放させるところがある。高い身分の男とセックスしたので激しく恋慕し、その結果、なぶり者になって殺されてしまう、そういう女を
 (身の程知らずなんだよ)
 と言ってやりたい気持ちが、観客の中にあるんではないか。
 ところで泉が「はりまや」などと気の抜けたかけ声をかけていたら、脇にいたかけ声おじさん(「大向こう」などと言う)は、そばにいるのが嫌になったのか、どこかへ行ってしまった。しかしかけ声が聞こえていたから、同じ三階席の、すいていたから別の席へ移ったのだろう。
 客席を見渡すと、泉より若い人ももちろんいたが、全体として高齢化していて、平均年齢は泉より上のような気がして、これは歌舞伎を観に来るといつも感じる。だから「ナウシカ」とか「ワンピース」とかを歌舞伎にせざるを得なくなる。
 芝居が終わったのは四時ころで(ここは「通」としては「はねた」と言うところである)、帰りは素直に半蔵門駅まで歩き、半蔵門線を銀座線に乗り換え、渋谷へ出て井の頭線に乗ったが、渋谷駅が改築中で、銀座線から井の頭線までがやたら遠くなっていた。
 ようやっと、最寄りの平田山駅へ着いて、地下の改札をスイカで抜けて、奥にあるエレベーターで地上へ上がろうとした時、老人らしい人に何か言われた気がした。一緒にエレベーターへ乗ったが、何も言われない。泉は、マスクをしていたし、髪の毛が年齢にしては黒いから、もしかしたら、若い人がエレベーターに乗ろうとしていると思われたのかもしれないと思った。
 自宅へたどり着いたが、疲れていて、すぐ寝てしまった。起きたのは七時前で、夕飯の支度(といっても弁当を買ってくるとかレトルトものを準備するかだが)が面倒なのと、数日前に郵便受けに入っていた「どんまつ」という丼ものの店に電話して、かつ丼を一丁出前してもらって食べた。

(つづく)