創作「これはフィクションです」(1)

これはフィクションです
                              小谷野敦

 朝、目を覚ますと、今日はどういう楽しいことがあるかを考えないと、起き上がれない。たとえばその日は、昼には天ぷらそばを食べよう、と思って起き上がった。
 十五年前にタバコをやめてから、こうなった。それまでは、朝起きるとまずタバコを喫ったから、それが楽しみだったわけだが、それがなくなったのでそんな儀式が必要になった。朝食にフルグラを食べるとか、だいたい食べものに関するちょっとした楽しみである。
 起きた泉浩太(これが主人公の名である)は、自室へ行って着かえ、パソコンの前に座ってメールをチェックする。すると、フランスへ留学している妻からのメールが来ている。現在では、これも泉にとって楽しみの一つになっている。もっとも中身は、「今日も図書館で調べものです」といったそっけないものだが、それでも、いい。妻はニ十歳年下で、四十歳になってやっと留学の機会を得た。泉は六十歳になり、一人にしておくのは不安だから、留学も一年間だけだったが、それにしても自炊のできない泉は、以前一人暮らしだった時のように、レトルトご飯や缶詰、買ってきた弁当に外食といったもので充当されることになった。
 泉は、文学の学者だが、教授ではない。今日まで非常勤講師で、こういうのを「専任非常勤」という。そして今は泉は「論文」は書かなくなっている。学術論文というのは、基本的に原稿料が出ない。人々が論文を書くのは、これから専任になるため、出世のためか、教授になった者が、教員としての実働時間からすると多い給料分を働いているお礼奉公か、岩波書店の『文学』などの原稿料の出る雑誌に書くものだが、今では『文学』など、文学系の雑誌は軒並み休刊になってしまった。文藝雑誌に「評論」は載るが、あれは何かの加減で「文藝評論家」と認知された人が書いているので、泉のような「ただの学者」には声がかからないから、書くことはできない。学術書というのが出版社から出ているのは、専任になった人が、科研費というのをとって、それを出版社に渡して出してもらっているのだ。もちろん印税は出ない。泉が出した本は、出版者の社長の趣味で出たようなもので、それでも印税は出なかった。出版というのは、山を三つくらい持っていないとやっていけないと言われている。
 泉はこれまで、日本人で二人目のノーベル文学賞受賞者である一ノ瀬太郎について、著書を二冊出している。一ノ瀬は八十八歳の長寿を保って近ごろ死去したが、そのお別れの会が帝国ホテルで開かれた、というニュースが流れた。作家や文藝評論家、元東大総長や元読売新聞記者の早大教授などが招待されていて、華やかな様子がX(旧ツイッター)で流れたが、泉は何しろニュースが流れるまでその日それがあることすら知らなかった。自分が呼ばれなかったので文句を言っているような人もいたが、泉は、指をくわえて見ていた。もともと、天皇制を否定する一ノ瀬は、ノーベル賞を受賞して文化勲章を打診されても断ったし、藝術院会員にもならなかった。そのお別れの会を、藝術院会員や、紫綬褒章を受章した作家が仕切っているのは不思議な光景で、ああ没後こうして微温的な作家に再形成されていくんだな、と泉は思い、「一ノ瀬太郎の再形成」という本の題名を思いついたが、別に書く気はなかった。
 泉は、週に二回、非常勤講師として二つの私立大学へ行って二コマと三コマずつ教えてくる。別に自分で選んで教授でないわけではなく、なれなかったのである。はばかりながら、泉は東大の出身で、博士号までとっているから、人に言うと、それで専任になれなかったのかと驚かれるが、あれは若いころ、非常勤先でセクハラ事件があって、その加害者を非難したりしたのが影響しているらしい。もっとも、九州とか台湾の大学で専任になる話はあったのだが、遠いから断っていたら、こんなことになった。
 しかしまあ、それだけでもなさそうで、ポストモダンとかテクスト論とか精神分析とか、近ごろのはやりをバカにしていたのがいけなかったのかもしれないし、博士号のない教授は大学を去れ、とか言っていたのがいけなかったのかもしれない。いわゆる舌禍というやつである。
 泉が教えている大西文学大学や三ツ渕学園大学は、全体のレベルは高くはないが、文学に関しては質のいい学生が集まるところで、それなりにやりやすかった。若いころ泉はもっと有名な大学で非常勤をしていて、学生の無知なのに怒って声を荒らげたりしていたため、学生から大学に苦情が行って注意を受けたこともあったが、今では泉も、学生が二葉亭四迷を知らないことくらいで怒ったりはしなくなった。
 文学部の文学科だからといって、文学好きな学生が集まるわけではない。たいていは、その大学ならどこでもいいという学生の吹き溜まりである。その点、泉が教えている大学はましである。高校の国語で文学を教えるかどうか、などということが問題になったりしたが、泉の見るところ、教えたってそれで生徒が文学に関心を持つわけのものではないし、教えなくたって持つ者は持つ。
 しかし三十年も教えてくると、「幻想」もなくなるから、だいたい学生の基礎知識はこれくらい、一学期に読めるのはこれくらい、一週間にできるのはこれくらい、ということが分かるし、それでシラバスを作れば、特に問題はない。
 ところで数年前、さる有名私大の教授で、文藝評論家としても知られる人が、女子院生に「愛人にしてやる」と言ったとかいうのがすっぱ抜かれて大騒ぎになり辞職するという事件があり、今でも騒いでいるが、多分騒いでいるのはあまり大学内部の実態を知らない人で、あの程度のことでは普通は停職三か月程度なのに、マスコミが騒いだから退職しただけ(解雇ではない)ので、実際にはもっとひどい、エグいことをしている大学教授がわんさといるのである。それにしても、泉はあの人が有名大学の教授になる前にちょっと会ったことがあるが、あれは有名大学の教授になってかなり傲慢になったんだろうなあ、という気はしている。だいたい、非常勤である泉には、女子学生を一人だけ誘ってどこかへ食事に行くなどということは不可能である。非常勤には当然ながら研究室がない。場合によっては専任でも自分一人の研究室がないということがあるが、研究室を持っていると人間はやっぱり自分をいっぱしの者だと思うものらしい。
 時々、川端康成を教えていると、「先生、藝者を買ったことありますか?」と訊いてくる学生がいる。こういう学生は極めて貴重だ。もちろん、ないのだが、藝者を買った(上げた)こともないのに『雪国』を教えるのはおかしくないか、と泉は思う。
 泉は、ソープランドも行ったことがない。今の妻と結婚する前に、一度行ってみようかな、と思っていたら結婚して、行く機会を失った。だが、今妻は不在なので、そのスキに行こうかと考えている。
 言っておくが、これはフィクションである。妻が留学しているというのもフィクションである。しかし一般に、「この作品はフィクションです」と言うことはあっても、この部分がフィクションである、と言うのは、普通はしないことであるらしい。
 世の中には私小説というものがあり、それは日本だけではなく外国にもあるということが、アニー・エルノーノーベル賞をとったことで少しは広まったかもしれないが、世間ではこれを「オートフィクション」などと呼んで、事実であることを隠蔽しようとしている。明らかに私的体験をもとにした小説を論じていても、作者と主人公を混同してはいけない、と目を血走らせているような人もいる。
 まあ、それはいい。しかし泉も年が年だから、ソープランドで興奮して脳溢血とか脳梗塞とかになるかもしれず、それを妻に知られたら困る。だが今は妻はフランスなので、恐らく連絡は仙台にいる妹に行くことになるだろう(ここもフィクションである)。
 妻が家にいた時は、出先で倒れたりした時のために、財布に、妻の名前と携帯番号を書いたメモを入れておいた。だがそれはもちろん基本的に東京にいるわけだが、仙台の妹となると、すぐに駆け付けることはできないから、どこかの病院へ運び込まれるのであろう。
 ソープランドというのは、高額である。安いものなら三万円くらいだが、高いところだと八万円くらいかかる。それにやはり<入れる>のであるから、敷居が高い。そこで、妻の留守中に、大久保にある「学び舎」という「熟女ヘルス」へ行こうか、ということも考えた。これは独身だったころに何度か行っているから敷居が低い。もっともこれも、興奮して脳梗塞とかになる可能性はある。
 昼食はたいてい外食で済ますが、泉はラーメンが好きであった。あった、と過去形なのは、今ではあまり食べないからである。ラーメンはかなり体に悪く、週に二食くらい食べていたら五十前に死ぬだろうと思っている。
 両親はすでに死んでいる。母などは六十代で死んでしまったが、生きていたら八十四歳になるから、まあ普通に生きていてもおかしくはないが、泉が還暦になっても非常勤だと知ったらさぞ嘆くだろうから、知らないまま死んでいったのは良かったかもしれない。
 時どき学生に、暇な時は何をしているか、と訊くことがある。これはいくぶん、勉強不足を非難する気味もあるが、今の若い人はどうやって余暇を過ごしているのかという関心もある。本を読んでいる、というような学生はあまりいない。アルバイトをしている、というのが多い。意外にないのが、テレビを観ているという答えだが、今の学生はテレビよりスマホで友達とやりとりする方が主なのかもしれない。中には、夕飯を食べたら寝てしまうといった不思議なのもいるし、ぼうっとしているという心配になるのもいる。
 泉は、今はあまりテレビを観ない。若いころは観ていたが、四十代半ばから次第に観なくなった。新聞をとるのをやめたせいもある。特に、バラエティ番組というものを観なくなった。うるさくて下品だからで、おかげでお笑い芸人というものを、落語家以外は知らないようになった。
 代わりに、ツタヤで借りて来た映画などを観る。ここ十年は、配信されるドラマなども観る。近ごろツタヤで「誰のものでもないチェレ」という一九七〇年代のハンガリー映画を借りてきて観た。自分が高校生のころ岩波ホールで上映されていたもので、観たことはなかった。一九四〇年の独裁政権時代のハンガリーの農村が舞台で、冒頭からいきなり、六歳くらいの女児が野原を全裸で牛を追っていた。チェレと呼ばれているこの女児は孤児で、何とかいう夫のいる女が助成金欲しさに孤児院からもらってきたので、少しも可愛がられていない。納屋には老人がいるが、これは元の家の持主で、女はこの老人から何らかの策略で家を取り上げたらしい。この老人だけがチェレに優しくしてくれるのだが、老人とチェレが憲兵と話しているのを見た女は、憲兵に言いつけられるのではないかと恐れ、毒入りの飲み物をチェレから老人に渡させて殺してしまう。チェレは手に焼けた炭を押し付けられるなどの虐待に遭っているが、とうとう女はチェレを殺そうとし、毒入りのミルクを与える。だがチェレはそれをそこに寝ている赤ん坊に与えようとする。それを見つけた女は、チェレを「人殺し! 毒が入っていると知ってミルクを与えたのよ!」と言って押さえつけ、夫やほかの大人が女を押さえる。女のこういう犯罪行為を、夫や周囲の者がどう思っていたのかは分からない。最後にチェレは、この女の家族がクリスマスを祝っているのに入れてもらえないまま、納屋へ行ってロウソクに火をつけて一人でクリスマスを祝うが、ロウソクの火から納屋は火事になり、恐らく焼死してしまう。
 陰惨な映画だがいかにも岩波ホールで上映しそうで、そういうのを観に行く日本人は、ハンガリーはともかく、アルメニアアルバニアの区別もつかないで、エストニアアゼルバイジャンとかそういう国は、戦争とかテロが起きた時だけ認知して、前から知っていたようなふりをするもんだよな、と思いながら泉は本を読み始めた。
 そういえば、今の、チェレを演じていた少女について、DVDについていた予告編では「7、000人から選ばれた天才少女/ジュジェ・ツィンコーツィ主演」と書いてあった。「七千人」を表記するのにわざわざ英語に合わせた三桁目のカンマを入れる理由が疑わしかったが、あの少女は成長したらさぞ美しくなるだろうという顔だちだったから、映画内の悪い女がそこまで計算して育てなかったことがややいぶかしかったのだが、この少女はこの後どうなったのだろうとウィキペディアで調べたら、やはり美人女優に成長していたが、それほど広く知られているわけでもなさそうだ。

(つづく)