書評 大塚ひかり「嫉妬と階級の『源氏物語』」  「週刊読書人」

 『源氏物語』について、新しい見解を表明することなど、不可能だろう。『源氏』や夏目漱石シェイクスピアについては、あまりにも研究書や論文が多すぎて、すべてに目を通すことは不可能だし、何か思いついても既に誰かがどこかで似たことを言っている確率は非常に高い。将来的には、AIがそういうものを全部読んで、似た見解があるかどうか教えてくれるようになるだろうし、それはすぐそこまで来ている未来だろう。
 にしても、それをどういう形で書き表すかということはまだ人間の自由のうちにあるわけで、本書などは、仮に誰かが既に似たことを言っていても、それを長編評論という形で表現した近年の優れた成果だと言っていいだろう。
 『源氏物語』を、女の視点から読むということを最初に意識的に行ったのは駒尺喜美の『紫式部のメッセージ』だが、これが1991年だからまだ三十数年しかたっていない。古典エッセイストを名のる大塚ひかりが『源氏の男はみんなサイテー』を出したのが九七年である。そして今では山崎ナオコーラの『ミライの源氏物語』が出ていて、いかにこの作品の中に女に対する性的虐待や強姦が多く行われていて、それがそういうものとして扱われてこなかったかを告発している。大塚はもっとからめ手から、女同士の嫉妬という方面から作品にアプローチしていく。テレビ番組に出演していて誹謗中傷に遭って自殺した女子プロレスラーの話などが出てくるところは、俗にくだけた感じがするかもしれないが、光源氏のもとへ女三宮が降嫁してきた時、正妻格であった紫の上に、どんなお気持ちでしょうかと手紙を出す花散里と明石の君に、「どんな気持ち?」とわざわざ訊く悪意を論じたところなどは、背筋がぞうっとした。これは、かつて華麗な王朝絵巻として読まれたこともあったかもしれない『源氏物語』を、そういう裏面からこれでもかとえぐり出す。紫上が、身分が相対的に高くないために味わった屈辱とか、宇治十帖に出てくる浮舟の母をクローズアップさせて、「召人」という、貴人の召使の女がセックスの相手になった階級の人間の内実をあぶり出すあたりも背筋が凍る。
 『源氏物語』の冒頭は、桐壺更衣がほかの女人たちの嫉妬によっていじめられて死んでしまうところから始まり、最後は浮舟という身分の低い女が、自分を争う薫大将と匂宮の双方から逃れて出家する結末に、著者は不思議な明るさを感じたというのだが、私は陰惨な、王朝絵巻の崩壊を感じ、やはり『源氏物語』は純文学だと思ったものである。それが過去にはずいぶんと美化されてきたものだが、思い返せば駒尺の本が出る前の1988年ころに、『源氏物語』は結婚生活の不幸を描いた作品だとする女性がいたので、男と女とでずいぶん違う風景を見て来たのが、この作品の近代史ではなかったかと思う。
 著者は『源氏』の現代語訳をかつて刊行しているが、そのために精密な読みをして、それ以前と以後では読みの深さが変わったと言っているが、実に本書は円熟の境地と言うに近い。
 さるにても、深読みすれば、現代においても、皇室とかへ嫁に行くとかいうのは恐ろしいことではないのか、他国でも君主制というのは非人道的なものではないかということを匂わせているような気もしてくる。

小谷野敦