翻訳と校注校訂

 海外のいわゆる古典的名作にはいくつもの翻訳がある。それも疑問で、その一方で、文学史上重要なのに翻訳がないのもある。大学所属の英文学者は、むしろ後者の翻訳をしてほしい。『ヒューディブラス』とか『ラマムーアのルチア』とか。
 日本の古典文学でも、やたらと校注・校訂のあるものがある。『源氏物語』などはもとより、芭蕉俳諧なども多い。そんなに寄ってたかってやることに意味があるのか。

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http://home.kobe-u.com/lit-alumni/omoide14.html
こないだは新潮社で、今回は講談社が「鬼の校閲」だというのだが、私はどっちも、たまたまそういうことがあったという風に見ている。江村洋の『ハプスブルグ家』なんておかしな日本語だらけだったし、文芸文庫の巻末の作品一覧でも私は煮え湯を飲まされている。