清紫両殿


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松平定信の『宇下人言』を読んでいたら「清紫両殿」という語が出てきた。京の御所再建の話で、清涼殿と紫宸殿のことなのだが、なんでこれが「清紫二女」つまり清少納言紫式部と同じなのかと不思議に思って調べてみたが、「清紫二女」は17世紀、小野通女の『東国紀行』に用例があり、「清紫両殿」は18世紀に高橋宗信が描いた「清紫両殿之図」あたりが初出らしい。御所において清涼殿、紫宸殿は平安京創始とともにあり、清少納言清原氏だから清、紫式部は、はじめ藤式部だったが、『源氏物語』で若紫、紫上がヒロインだったことから紫式部となった。後者の経緯に、いくらかは清涼殿、紫宸殿にあわせる意図が働いていたかもしれないが、証拠はない。まあ確かに、『源氏物語』の作者だからといって「源式部」というわけにはいかないのだ。それじゃ源氏みたいだから。ただ清紫二女の呼称が既にあったのなら、18世紀に「清紫両殿」と呼んだ際にそれが影響した、程度のことは言えるかもしれない。