『記憶の中の源氏物語』はトンデモ本

 フェリス女学院大学教授の三田村雅子さんといえば、テレビの古典教育番組でよく知られている。独特の声音と、ものに憑かれたような語り口にはファンも多い。私は三田村さんとは会ったこともあるし、ご著書は送っていただいている。
 その三田村さんの新刊である大著『記憶の中の源氏物語』が評判がいいようだ。もっとも、「右翼」に評判が良く、読売新聞では片山杜秀が書評していたし、それどころか三田村さんは『表現者』で前田雅之と対談をしていた。
 私はここで久しぶりに泣いて馬謖を斬ることになる(まあ三田村さんは私の部下じゃないし教授で図書館長なんだから比喩としてやや不適切)。あれは「トンデモ本」である。(なお図書館長というのは学長に次ぐくらいの地位で、定年後の年金とか、受勲とかに関わってくる)
 むろん、『源氏物語』の享受史として、書かれた事実だけを読む分には良いのだが、そこに通奏低音として流れる三田村さんの解釈、主張は、間違いである。恐らく多くの国史、国文学者がそう思っていることだろう。(田中貴子も思っているに違いないが、人間関係があるから言わない)
 実は私は、もう八年くらい前に、三田村さんが夫君の三谷邦明氏と共著で出した『「源氏物語絵巻」の謎を解く』もまた「トンデモ本」だと思っていて、しかしそういう現世的義理から言えなかった。
 「絵巻の謎」は、ほとんど梅原猛流のものであって、『源氏物語絵巻』は、白河法皇が、息子である鳥羽院中宮となった待賢門院璋子と通じていて、崇徳院は白河の子であることを、光源氏と薫大将の関係を強調して描くことによって風諭したものだと説いている。
 この本は、共著であるためか、基本的な間違いがある。鳥羽院が、そのことを知っていて、崇徳を「叔父子」と呼んでいたというのが『愚管抄』に書いてある、とあるのだが、むろん『古事談』の間違いで、これは今回の本ではもちろん正しく書いてある。それはいいとして、恐らく三谷が書いたのだろうが、『源氏物語』は、いったん源氏に臣籍降下した者が太政天皇の地位に就くという、恐るべき不敵な物語なのである、と書いている。しかし、宇多院は、源定省(さだみ)という源氏から、親王宣下を受けて天皇になっている。これは『源氏物語』以前のことである。また、天皇にならなかった天皇の父が太政天皇となることは、小一条院後高倉院など例のあることだ。何が不敵なのか。
 さらに、待賢門院は「病弱」で、白河と通じて崇徳を産んだ「罪の意識に悩んでいた」とあるが、何人も子供を産み、一度などは自ら臍の緒を切った健康な女性である。入内の際にもののけに襲われるということがあって、これは緊張からくるものだろうが、どうやらそれがいつの間にか「病弱」にされてしまうのである。また、罪の意識に悩んだなどということは、まったく史料にない。
 では誰が、そんな意図を持って『絵巻』を作成したのかといえば、源有仁だという。有仁は、白河の甥、異母弟輔仁親王の皇子である。輔仁親王は、本来なら白河の次に即位するはずだったが、白河の陰謀によって果たせず、失意のうちに死んだとされている。有仁は臣籍降下し、左大臣になっている。つまり父の意趣返しに白河を風諭したというのである。
 これが想像であって、史料の裏づけが全くない。推定に推定を重ねているだけである。しかも有仁は1147年に死んでいるが、『源氏物語絵巻』の作成時期は、12世紀後半とする小松茂美の説があって、国文学界ではもっと早いのだが、いずれにせよやはり梅原猛流の怨念評論で、学問とは言いがたい。
 さて『記憶の中の源氏物語』は、とりあえずそれとは切り離されているが、橋本治との対談(『新潮』)は、『絵巻の謎』を前提としてなされているから、半分はトンデモ対談である。『記憶の中』で三田村は、宮中の人びとや武家が『源氏』と取り組むさまを、中世から近世まで辿り、それを天皇制強化の過程としてとらえる。と同時に、光源氏藤壺の密通と、その結果としてその子が天皇になることを天皇制への侵犯と見なす。
 だが、それではまるで「万世一系論」になってしまう。確かに宮廷および将軍クラスの上層武家に『源氏』への憧れがあったとしても、それは庶民の与り知らぬ世界である。いわんや、徳川時代の庶民は天皇の存在など知らなかった。三田村はこれについても、近松天皇劇などを例に、知っていた、と発言していたことがあるが、むろん、京の町人なら知っていよう。あるいは大坂の町人が知っていてもいい。だが、それが日本の庶民のうち何割だというのか。
 近代天皇制というのは、水戸学を基礎として、明治期に拵えられたものであり、その過程については山本七平が『現人神の創作者たち』で描きかけたのだが、未完に終っている。三田村は、光源氏藤壺の密通を実に大事のように言うのだが、ではアーサー王の妃グィネヴィアと騎士ランスロットの不義の物語が、平然と古典として読み継がれてきたのはなぜか。あるいは、問題はその子冷泉院の即位にあると言うかもしれないが、光源氏は桐壺帝の皇子であるから、皇統の「乱れ」などというのは、大したものではないのである。谷崎訳『源氏』からその箇所が削除されたというのは、その当時の国体論が儒学と結びついていたからである。
 「万世一系論」というのは、天皇制が常に力を持ってきたとする論であり、これを唱えた穂積八束は、北一輝から「土人部落の酋長」と罵られた(『国体論および純正社会主義』)。三田村の著は、あたかも新式の万世一系論である。三田村は左翼だったはずだが、天皇制というものにこだわり、自身の専門である『源氏』を大きく見せようとした結果、くるりと反転してそういうものを書いてしまい、右翼を喜ばせる結果になってしまったのである。
 しかし、そういうイデオロギーを離れて考えても、これは学問的には成立しない「論」なのである。読者はよろしく、三田村の「主張」はのけて、描かれた事実のみを読めばよかろう。

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三ツ野君が、大塚英志の『「彼女」たちの連合赤軍』がいいと言っていたので、読んでみた。しかし、シナの女性たちを見れば分かるとおり、長髪に化粧をするような女たちが「革命軍」の中にいたら反感をかうのは普通のことで、高度資本主義とか、大げさ。しかも最初の五ページくらい読んだら、何が言いたいのか分かる。
 だいたい私は、三島の割腹とか連合赤軍とかオウム真理教とか、何も共感とか関心を覚えないのだよね。レーニンが、革命の気運を亡命して待っていたのを見たって、1970年前後の日本が、革命可能であったはずはないのだ。バカか。

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一週間ほど前の新聞の東京版を見ていたら、中野区の小学校の校務主事が、パソコンから取り出したヌード写真を学校のプリンタで印刷して戒告処分になったというバカな記事があった。しかも教員がその裏紙を使って生徒に配布したというのだから二重にバカ。しかし校務主事って何だろうと思って調べたら、用務員の言い換え語らしい。ほらね、そもそも用務員というのが「小遣いさん」の言い換え語なのだが、こうして言い換えてもそこに蔑視がついてくるからさらに言い換えることになるんだよ。言い換えの無限後退

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http://d.hatena.ne.jp/ymitsuno/20090307/1236406692
東浩紀よ、これはひどいぞ。「電波少年」を真似しているのは分かるし、講談社の意向とかもあるのだろうが、節度ってものがある。参加者の親を嘆かせるようなことをしてはいけない。「叩かれるに決まってる」ってそれなら映像自体を出すべきではない。

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http://d.hatena.ne.jp/asakura3/about
 朝倉くんである。まず最後に、出版社からの依頼を待っているとあるが、冗談ではない。依頼なんかあるわけないだろう。自分から一冊分書いて持ち込むのだよ。まったく無名の新人にブログを見て依頼してくる編集者など一人もいない。
 それに、実証主義のところもおかしい。宮下は実証主義なのではなくて、単に枝葉末節に過ぎないことを致命的であるかのように言っているだけだ。むろん、実証不能なことはあるが、それはそれで「分からない」とすればよろしい。ここで挙げられている例にしても、事実は命題として存在しているのだから、それを提示すれば価値自由になる。朝倉くんが勝手に価値判断をして、価値自由はないと言っているだけだ。
 ポストモダン思想というのがそういうものかどうか、少なくとも仲正昌樹はそうではないと言っている。全ての学説は仮説であるというのはポパーが言っていること、ないしは自然科学では常識であって、科学は真理への無限の接近過程になるわけだから、その後の言もよく分からないし、認識と倫理(カント式にいえば純粋理性と実践理性)を混同している。
(付記)いや別に批判というほどのものではなくて、というのは私だって大学院へ入った当時は相当にバカだったからで、まあこれから頑張ってくださいということである。