9月13日の昼過ぎ、今日都内のホテルで、大江健三郎のお別れの会が開かれたというニュースをX上で見た時、あっ私は呼ばれなかったんだという悲哀が突き上げてきた。衝撃を受けつつあちこち調べてみると、大江についての本を書いた榎本正樹は呼ばれたが行かなかった、高原到も呼ばれたが仕事があっていけなかったとかポストしており、かなり幅広く呼ばれたらしく、もしや蓮實重彦も呼ばれなかったのではと思ったが呼ばれていたようだし、私がパージされたのは明白で、私は衝撃のため二日ほど仕事が手につかなかった。
そこで私は「眠れる森の美女」の舞踏会に呼ばれなかった魔女のごとくタタリ神となって以後は語るが、近年、大江健三郎は中産階級向け、お茶の間向け、テレビ向けに微温化され、デオドラント化されている。スピーチしたのは黒柳徹子、山内久明、朝吹真理子というあたりがすでに微温的ではないか。
そもそも私が中学3年の時『万延元年のフットボール』を読んだのは、今どき天皇制などというものが生きていることへの怒りからであった。
だが、ノーベル賞をとっても文化勲章は辞退し、藝術院会員にもならなかった大江だが、そのお別れの会を藝術院会員の池澤夏樹や天皇崇拝家の島田雅彦が仕切っていたり、天皇制など平然と認めていそうな「なんリベ」の面々が参集する集まりと堕していた。
しかし、大江自身に責任がないとはいえない。大江だって人間だから、あさま山荘事件のあとから次第に、中産階級的市民に愛される文学者になろうとして、障害のある息子を前面に出したり、「谷間の村」を聖化したりしてきたのだし、当人にT・S・エリオットのような君主主義詩人を好きになってしまう部分もあった。
そこへ、この十年ほど、柳田國男やら谷間の村やら、微温的な方向へ大江を持って行くような論者が跋扈しつつあり、まあ私はよほどの危険人物だと思われたのであろう。
とはいえ私は大江の九条護憲とか反核とか反原発に批判的だし、実際には今の日本ではそういうことをテレビで言うのは別に難しくはない、反天皇を言うのはむしろどんどんタブー化していて、昔は「朝まで生テレビ」でも反天皇制の論客は出演できたが、今では最初から排除されている。
川端康成の伝記を書いた時もつくづく思ったが、川端には「眠れる美女」を書くような危険で反市民的な部分もあるのに、遺族と取り巻きの学者などはそういうことを隠したがる。「魔界」くらいならいいが、臼井吉見ではいけないのだ。
だからまあ、これから、本来の初期の荒々しい大江健三郎を取り戻す戦いが始まるので、「お別れの会」などというのは、微温的文化人の集いに過ぎなかったと考えておくのが正しいことであろう。
(小谷野敦)