浅草歌舞伎に行ってパンフレットを買ったら、矢野誠一が文章を寄せていた。浅草についてのものだが、矢野は、東京人ではない川端康成高見順の浅草へののめりこみには韜晦があってよくない、と書いている。韜晦というのが具体的にどういうことか分からない、曖昧模糊な文章である。
 私は『21世紀の落語入門』で、矢野には、非東京人には東京の文化である落語は分かるまいという態度があると指摘したのだが、これを読んで、やはりそうなのだろうなと思った。「山の手で育てられた負い目」などと書いてある。

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文化功労者」というのは、日本国憲法第14条に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない」とあるので、文化勲章受章者に年金を与えられなくなったため、できた制度だが、その文化功労者制度もやっぱり「栄誉、勲章その他の栄典」なのだから、やっぱり憲法違反ではないのか。だからやっぱり、憲法のこの箇条は変えるべきだろう。なおその前の二項「華族その他の貴族の制度は、これを認めない」は、「ただし皇族を除く」と入れておかないとやっぱりおかしいんじゃないか。(天皇制を残すなら)

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『反=文藝評論』で高田里恵子さんを論じた際にひきあいに出した浅田彰の発言は、『すばる』1990年1月号のインタビューであった。これは『批評空間』が出る前である。インタビュアーが浅田に、もっと文学について論じてほしいと言い、浅田が大江健三郎中上健次をほめ、だがそれからあとが良くないと村上春樹を貶している。そして、評論家の悪口を言い、インタビュアーが「過疎村論争ですか」と言い、浅田は「あれは論争なんてもんじゃなくて」と言って、加藤典洋島弘之の悪口を言っている。
 これより先、高橋源一郎、加藤、竹田青嗣が「批評は今、なぜむずかしいか」(『文學界』88年4月)という鼎談をやって、柄谷、蓮實などの批評が難しいと言い、浅田が、これらは明晰であると反論したものだが、なんで「過疎村」なのかは分からない。
 そこで浅田の、「谷崎潤一郎くらいの人間なら、自分はこう思ったと書いてもいいけれど」という発言が出てきて、加藤や島がなんで自分らの体験を特権化するのか、それくらいなら漱石の「F+f」みたいに科学的にやったほうがまだいいと言うのである。そのあと、『続・明暗』を連載中の水村美苗を、頭がいいと言うのだが、この当時、柄谷周辺で、頭がいいという話がはやっていて、中上との対談で、中上が、小林恭二は頭が悪いとか言っていたのだが、しかし小説を書くのに頭がいい必要があるのだろうか。
 まあ23年も前のことで、この時浅田が、頭がいいと言っていた島田雅彦水村美苗は、頭がいいからかどうか知らないが妙な権力者と化し、浅田が依拠していたポストモダンはいんちきだと分かり、あまり意味はない。しかしこの文脈で、がーんと来てしまう高田さんって本当に浅田を崇拝していたのだなあと。ちなみに漱石の『文学論』はちっとも科学的ではない。島弘之は『小林秀雄』をちょっと読んで、その小林かぶれにぞっとしただけで、あと全然読んでいない。