音楽には物語がある(45)運動会と音楽 「中央公論」9月号

 前にも似たようなことを書いたが、子供のころ、運動が苦手だったから、運動会の日は嫌だったとか書く人がいる。人形劇「プリンプリン物語」では、メガネくんキャラのカセイジンが、運動会の日はおなかが痛くなって休んじゃった、と言っていた。後者はともかく、前者は、本当に運動が苦手だったのかうさんくさいと思う。なぜなら、運動が苦手な人間にとって嫌なのはまず球技である。しかるに運動会には球技はない。水泳も苦手だが、運動会に水泳はない。

 インベカヲリ★さんという写真家で、ノンフィクション作家でもある人のエッセイ『私の顔は誰も知らない』(人々舎)を読んでいたら、インベさんも運動が苦手で、子供のころドッジボールが嫌だったと書いてあるのを見て、そうそう! と膝を打ってしまった。ドッジボールというのは、いじめ以外の何ものでもない。もしかしたら、この世にドッジボールがなかったらいじめはなかったんじゃないかと思うくらいである。子供のころ私は本当にドッジボールが嫌だった。当てられるのは当然として、当て返すこともできないのである。私が投げた球は、ただへなへなと、球技の得意な相手にキャッチされるだけであった。

 ところが、仲間を発見、と思ったインベさんは、大人になってからは運動が普通にできるようになったという。私が、水泳って息継ぎができないから大変だと言ったら、それは私よりひどい、と言われてしまった。

 しかしよく考えてみると、私は運動会はわりあい好きだったのである。十月ごろになって、ミカンの匂いなどが漂ってくると懐かしささえ覚える。といっても、一家揃って観に来てくれてそこで食べるということはあまりしなかったから、それが懐かしいのではない。むしろ「コロブチカ」とか「オクラホマミキサー」とか「秩父音頭」とかの集団舞踊がわりあい好きだったのだが、それは舞踊が好きなんじゃなくて音楽が好きだったのである。

 小学生当時は、録音装置もなければ、わざわざレコードを買うほどにも思っていなかったから、「トランペット吹きの休日」とか「クシコス・ポスト」とか「道化師のギャロップ」とかいう音楽は、運動会でのみ遭遇できる音楽だったのである。あとはタイケの「旧友」というマーチがあまりに好きで、中学生になったころにそれが入ったLPを買ったら、それ以外がほとんどアメリカのマーチ作曲家のジョン・フィリップ・スーザの曲だった。あと「サンブルとミューズ」というフランスの軍歌も入っていて、そのころ、中卒だった母がNHK学園の通信制高校に行っていて、そこで習っていた歌を歌っているのを聴いたら、同じ曲なのである。これはその曲に阪田寛夫が「誰かが口笛吹いた」という歌詞をつけた歌で、それだけ聴くとちっとも軍歌には思えない。その点、日本近代は「雪の進軍」などはあるが、軍歌っぽいのが多い気がした。

 だがそれから私はクラシック好きになりはしたが、結局は「運動会の音楽」的な曲が好きであり続けている。たとえばメンデルスゾーンの「イタリア」の第一楽章などである。「みんなのうた」でもやっていた「海のマーチ」という、デイヴィッド・T・ショウの「コロンビア、大洋の宝」という曲に小林幹治(一九三三―二〇〇四)が歌詞をつけて「みんなのうた」で放送された曲で、私は小中学校のころこの曲を聴いて以来好きなのだが「かもめ飛ぶ青い空」という始まりは、鷹羽狩行の代表句「船よりも白い航跡夏はじまる」を知った時にたちまち思い出したものだ。