音楽には物語がある(22)中山晋平と「証城寺」 中央公論2020年11月

 私は伝記小説や伝記映画が好きである。で、昨年、北原白秋の伝記映画「この道」(佐々部清監督)を観た。白秋は戦争中に死んでいるので、戦後、女性記者が山田耕筰AKIRA)に白秋の話を聞きに行き、山田はいやいやながらに、白秋がいかに女にだらしなかったかを話すという枠構造映画だったが、女癖が悪いといえば山田耕筰のほうがずっと上なのに、そのことには頬かむりした変な映画だった。

 白秋を演じたのは大森南朋。それはいいとして、この映画では、白秋と山田の関係を中心に描いているのだが、白秋の詩に曲をつけたというのでは、山田と双璧をなす中山晋平が出てこないのも不満だった。「砂山」は、中山と山田が曲をつけているが、私は中山のほうが好きである。

 山田耕筰が、「からたちの花」に曲をつけて歌われるところが細かく描かれており、演奏には七十歳の由紀さおりと七十七歳の安田祥子が登場したから驚いた。「からたちの花」は、一番、二番、三番と、歌詞のアクセントに合わせて細かに曲を変えていることでも知られ、そこも描かれていた。以前はそういうことを言う人がいて、「戦争を知らない子供たち」などは、冒頭から言葉のアクセントを無視した曲だと言われたりしたものだ。のち、高畑勲演出のテレビアニメ「赤毛のアン」の主題歌を三善晃が作曲した時も、一番と二番で曲を変えていた。

 実は中山晋平も、作曲した「証城寺の狸囃子」でこれをやっている。一番は「証城寺の庭は」で、二番は「証城寺の萩は」で、アクセントが違うから曲を変えているのだ。しかも「からたちの花」も「狸囃子」も大正十四年(一九二五)に曲が作られている。あるいは中山のほうが先だったかと思うが、当時流行の手法だったのかもしれない。この「証城寺の狸囃子」の冒頭の「しょ、しょ、しょじょじ」のところが、ハイドン交響曲八十九番の冒頭とそっくりだと教えてくれたのは亀井麻美さんである。

 中山晋平は野口雨情との仕事が多いが、白秋―耕筰コンビに比べるとあまり知られず、伝記映画にもなりそうもない。雨情の茨城県関係者にがんばってほしいところだ。

 音楽家の伝記映画は、西洋には多そうで、ケン・ラッセルの「マーラー」や、チャイコフスキーを描いた「恋人たちの曲/悲愴」がある。戦前のものも多く、ショパンを描いた『別れの曲』や、シューベルトの「未完成交響楽」もある。しかしこれらは恋愛映画が多くて、作曲家は恋愛で味つけするのがいいのだろうか、とわりあい不審な気持ちになる。ピーター・シャファーの戯曲を映画化した「アマデウス」もあるが、私は江守徹松本幸四郎(現・白鸚)が舞台で上演したもののほうが面白かった。

 ベートーヴェンなら「不滅の恋/ベートーヴェン」があり、異色作として「パガニーニ・愛と狂気のヴァイオリニスト」もある。ベルリオーズでは戦時中の「幻想交響楽」がある。

 クララ・シューマンはピアニストでロベルトの妻ながら映画化人気が高い。キャサリン・ヘプバーンの「愛の調べ」は、シューマンの死後のブラームスからの恋慕を拒む様子が描かれているが、その種の事実はなかったらしく、ナスターシャ・キンスキーの「哀愁のトロイメライ」はクララがシューマンと結婚するまでを描いており、ブラームスは登場しないが、ブラームスの子孫だという女性ヘルマ・サンダース・ブラームスの「クララ・シューマン 愛の協奏曲」では、前より濃厚なクララとブラームスの恋愛が描かれてしまった。

 シューマンは梅毒で死んでおり、売春婦を買ったり女遊びをしたりする男だったのは間違いない。山田耕筰など、映画にするどころか、まともな伝記すら書かれていないのが現状である。