『魅せられたる魂』と川端康成」文學界2019年7月

 ロマン・ロランの『魅せられたる魂』は、ラウール・リヴィエールという五十を前にして死んだ建築家の、母親の違う二人の娘、アンネットとシルヴィを主人公にし、その数奇な人生を描いたものである。その最初のほうに、

 アンネットは気づいてみるとなるほど夜会服しか着ていなかった。するとぞっと寒気がした。身ぶるいがした。
 「あんたは気が違ったのね! 気が違ったのね!」
 と叫んでシルヴィは自分の袖なしマントで姉をつつみ、(宮本正清訳)

 という箇所がある。この箇所は川端康成『雪国』の最後の火事の場面で、飛び降りてきた葉子を抱えた駒子が、「この子、気がちがふわ、気がちがふわ」と叫ぶ場面を思わせる。
 この場面は、はじめ単行本『雪国』がまとめられた時にはまだなく、昭和十五年(一九四〇)十二月の『公論』に出た「雪中火事」に出たものだ。『魅せられたる魂』は、今日まで宮本訳しかないが、岩波文庫で宮本訳の第一冊が出たのは昭和十五年十月だから、おそらくこれを読んで借用したのだろう。
 川端がロマン・ロランに触れたのは、大正九年三月十一日の日記に「英訳ジャンクリストフ」とあり、豊島与志雄とは知り合いなのでその翻訳も読んでいる。『魅せられたる魂』もある程度は確かに読み、影響されている。戦後の『虹いくたび』は、昭和二十五年(一九五〇)から『婦人生活』に連載されたものだが、建築家の水原常男の母親の違う三人の娘を描いている。長女の百子の母は自殺し、百子は水原に引き取られ、水原の妻の生んだのが次女の麻子で、ほかに二人の娘がまだ会ったことのない、京都の藝者が生んだ菊枝という三女がいる。
 『魅せられたる魂』のアンネットは既成の社会に反逆する娘で、ロジェ・ブリソーという好男子と交際するが、結婚は拒否し、生まれた男児マルクを一人で育てる。百子は戦争で恋人を失い、その心の痛手から年下の美少年を愛するが、妊娠してしまう。そのことを少年に告げると、「うそだ。うそ言ってら、子供だなんて、僕が子供じゃないか」と言って逃げてしまい、百子は妊娠中絶する。
 リヴィエールという姓が「川」を意味することははっきり表明されているし、建築家という父の職業など、『虹いくたび』は『魅せられたる魂』に触発されていると言うことができるだろう。なお『魅せられたる魂』は昭和二十八年に日本で映画化されている(東映、春原政久監督、木暮実知代、津島恵子)。木暮は同年、川端原作の『千羽鶴』に太田夫人の役で出演している。川端の没後「伊豆の踊子」に主演した山口百恵は、『魅せられたる魂』を元にドラマ化した『人はそれをスキャンダルという』(一九七八ー七九)に主演している。