音楽には物語がある(3)マチルダ 中央公論2019年3月

 トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』は、今では村上春樹の翻訳が出ているが、それまで流布していたのは、新潮文庫の龍口直太郎の訳だった。(たつのくち)表紙は映画からとったオードリー・ヘプバーンで、ただ私はそれほど面白い小説だとは思わなかった。実はあまり翻訳がよくない、誤訳が多いということは言われていたが、そのせいで小説が見劣りしたのでもないと思う。
 たとえば「ワルツを踊るマチルダ」などと訳されているところがあるが、これはオーストラリアの有名な民謡「ワルツィング・マティルダ」のことだ。だが、「マティルダ」は女の名前ではない。「スワグ」ともいう合切袋のことである。「ワルツ」も、ワルツを踊るのではなく放浪するという意味で、これはオーストラリアのヴァガボンドが、合切袋一つで放浪しながら、誰か俺と一緒に放浪しないか、と呼びかける歌なのである。
 「ワルツィング・マティルダ」は民謡なので、曲は一定せず、いろいろなヴァージョンがある。私がよく聴いていたのは、西洋風に整えられたものだ。そこで放浪者は、地主の羊を盗んで食ってしまう。それを見つけた地主が、こいつめ!と追いかけると、放浪者はそこにあった井戸へ飛び込んで死んでしまう。
 だがそれで終わらない。夜な夜な、放浪者の幽霊が出ては、ワルツィング・マティルダ、誰か俺と一緒に放浪しねえかい、と歌うのである。
 高校生のころ聴いて、壮絶な歌だなあと思った。オーストラリアはアボリジニという先住民がいるところへ、白人がやってきて植民地、流刑地にしたもので、今でも国家元首はエリザベス二世だという英国コモンウェルスである。白人優先の白豪主義は七○年代に改められているが、そういう荒々しさがこの国民歌謡である民謡にも表れていると言えようか。
 「マティルダ」が出てくるオーストラリア民謡はもう一つある。「調子をそろえてクリック、クリック、クリック」という、羊の毛を刈る仕事を主題にしたやはり民謡で、日本では「みんなのうた」で放送されて知られるようになったが、「今日一日の仕事を終え牧場をあとにマチルダ肩に」という歌詞がある。これは一九六二年に「みんなのうた」でペギー葉山の歌唱で放送されたが、この歌を漫然と聞いていたら「マチルダ」が何かは考えないだろう。これはもとは米国の歌で、ヘンリー・クレイ・ワークが一八六五年に南北戦争の歌として作曲した「歩哨よ鈴を鳴らせ」の替え歌であるらしい。この曲の「リング、リング、リング」のところが「クリック、クリック、クリック」になっている。今はこういう歌もたやすくYOUTUBEで聴くことができる。私の若いころはある曲名を聴いても実際に聴くのはこんなに簡単ではなかった。
 オーストラリアというと、私が中学生のころ、NHKの少年ドラマで放送された「リバーハウスの虹」は原題を『オーストラリアの七人の子供たち』というエセル・ターナーの一八九四年の古典だが、これは名作と言ってよく、『サウンド・オブ・ミュージック』を思わせるがその実話よりずっと前だ。
 あとやはり少年ドラマで放送された『孤島の秘密』も好きだったのだが、これもオーストラリア制作で、文化が二世紀前の状態で、オールマイティQという独裁者が支配する孤島に流れ着いた男三人、女二人の少年が、島の人びとと協力してQと戦うという冒険活劇で、少女の一人がケイコという日本人で、アマンダ・マーというおそらく香港系の女優が演じていた。しかし最近調べたら、原作では中国人だったようだ。原作の主題歌をYOUTUBEで聴いたら、設定を延々とセリフで説明する歌だったからちょっと驚いた。