俵万智さんがタクシーの思い出を書いているのを見て思い出した。
大学時代の私がえらく世慣れない人間だったのは言うまでもない。確か三年生の時だが、アルバイト先の東大生ら数人とタクシーに乗ることがあり、一年上の理系の、大人びた先輩が、タクシーの運転手と世間話を始めるのを見て、ああ大人だなあ、と感心した。
それからほどなく、米国へホームステイに行く高校二年の弟を見送りに行くことになり、どういう加減か、私と二人でタクシーに乗った。私は、はっと緊張し、これは、タクシーの運転手と世間話をして、大人らしいところを弟に見せてやろうと、浅ましい考えを抱いたのである。ふと見ると、運転手のネームプレートが、珍しい姓である。振り仮名も振ってあった。いや、もしかするとこのプレートを見て、この浅ましい目論見は生まれたのだったかもしれない。私は緊張し、躊躇し、遂に「珍しいお名前ですね」と話しかけた。しかし、運転手は聞えなかったのかどうか、答えはなかった。私は、明らかに弟にその発語を聞かれていただけに、焦った。みっともない。一分もたったろうか。「はい、着きましたよ」と運転手は言った。気まずい気持ちのまま、車を降りたのである。
こんなことが、若いころはわんさとあったのである。