池内恵氏が東大に

 池内氏が東大の先端研准教授になったことを毎日新聞で知った。日文研は優秀な研究者が流出するのだよなあ・・・。いや、いる人が優秀でないということはないのだが。しかし先端研というのは分からんところだ。ほとんど理系なのに、御厨貴がいて、今度は池内氏・・・。御厨はいつの間にか左傾しているし・・・。

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緒形直人に兄がいるとは知らなかったが、二人とも41歳という報道に、もしや別腹? と思ったのは私だけではあるまい。兄は来月42になり、弟は先月41になったばかりだから、産んですぐできた、というに近いわけだが・・・。

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ノーベル物理学賞をとった三人のうち、二人は名古屋大学の出身である。そういえば以前、ノーベル賞候補でもある理系の私大出身者もいるとか言っていた奴がいたが・・・。名大出身者のノーベル賞受賞は初めてである。ちと嬉しかった。というのは・・・。
 少し前に、吉野源三郎君たちはどう生きるか』の岩波文庫版を読んだ。昭和12年に、新潮社の「日本小国民文庫」の一つとして出たものだ。里見紝の『文章の話』や、山本有三編の『世界名作選』などが入っていたシリーズだ。主人公の「コペル君」は、中学二年生だが、旧制だから15歳である。このコペル君というのはあだ名で、コペルニクスからとったものだ。
 しかしその冒頭で、コペル君の父親は銀行の重役だったが二年前に死に、「コペル君の一家は、それまで住んでいた旧市内(東京市)の邸宅から、郊外の小ぢんまりした家に引越しました。召使の数もへらして、お母さんとコペル君の外には、ばあやと女中が一人、すべてで四人の暮しになりました」とあるのを読んで、ぐえっと鼻白み、投げ出そうかと思ったのだが、続けて読んでいくと、コペル君の同級生に、豆腐屋の子の浦川君というのが出てくる。コペル君が行っているのはむろん裕福な家の子が多いので、浦川君はいじめられている。コペル君はもちろん主人公だから、浦川君の味方をする。そして浦川君の家、つまり豆腐屋へ訪ねていき、そこが今まで見たこともない貧乏な家並みであることに驚き、いつもコペル君の相談相手になっている叔父さんにその話をする。
 この叔父さんからコペル君への長い手紙が、この本のミソである。叔父さんは、こう書く。
 「しかし、世間には、浦川君のうちだけの暮しもできない人が、驚くほどたくさんあるのだよ。その人たちから見ると、浦川君のうちだって、まだまだ貧乏とはいえない。そう聞くと、君はびっくりするだろうか」
 そして、そういう人たちは、「ものの好みも、下品な場合が少なくない。・・・しかし、見方を変えて見ると、あの人々こそ、この世の中全体を、がっしりとその肩にかついでいる人たちなんだよ」
 「貧しい境遇にいる人々の、傷つきやすい心をかえりみないでもいいとはいえない。少なくとも、コペル君、君が貧しい人々と同じ境遇に立ち、貧乏の辛さ苦しさを嘗めつくし、その上でなお自信を失わず、堂々と世の中に立ってゆける日までは、君には決してそんな資格はないのだよ」
 −−ああ、そういう仕掛けだったのかと、私は電車の中でこの部分を読みながら、目から涙が溢れそうになった。戦後の本がこんなことを書いていてもどうということはない。しかし、昭和12年である。こんなことを書いたら、社会主義者ではないかと疑われかねない時代である。吉野というのは、偉い人だなあ、と思ったのであった。
 実はこの本は、私が買ったのではなく、弟のものを実家から持ってきたのだ。弟は、本の中表紙に、読み始めた日付と読み終わった日付を鉛筆で書き込む習慣がある。ふとその日付を見て考えたら、弟が大学入試に失敗して、浪人生活を始めた4月の日付であることに気づいた。弟は、家のローンが残っていることを気にしていて、さる私立への推薦を自分で断ってしまったのだ。そんな中でこの本を読んだ弟の心を思い、私は滂沱たる涙を流した。
 翌年弟は名古屋大の工学部に入り、修士まで出た。名古屋大出身のノーベル賞受賞者が出たことが嬉しいのは、そのためである。