私が図書館へ行くと何かが起こる。
 今日は、大きい机、座ると向かいに、男児が二人。どうも西洋人とのハーフらしい。左側が兄らしい。だいたい兄十歳、弟六歳くらいか。勉強しに来たのだろうが、当然、こちょこちょ何か言ったり、ふざけたりしている。少し様子を見て、「静かにしろ」と言った。弟のほうは、日本語が分からないのか、兄のほうが反応して、二人は一瞬静かになった。しかし、弟はやはり気づいていないのか、鉛筆で兄にちょっかいを出したりして、机が揺れる。
 「遊ぶんじゃねえ」
 と私は言った。兄がこっちを見た。私もじっと見た。
「遊んでません」と言う。「何?」
「遊んでません」
「こいつが遊んでるだろう」と弟のほうを指す。
「遊んでません」
 私は、立ち上がった。「何だお前」「遊んでません」「こいつが遊んでるだろう。嘘をつくな」
 兄はハンサムである。ロシヤ人のような顔だちである。目をそらさない。
 私が座ると、兄は、「あっち行こうか」と言い、道具(半分くらいおもちゃ)を片付けて、後ろ側の丸い机へ移動を始めた。弟も片付けをしていたが、つっと、あっちのほうへ行ってしまった。兄は、「あ」と言い、「泣いちゃった」と呟いた。「泣いちゃった」とまた呟いた。まるで泣かせた俺が悪いかのように。そして弟の後を追って行ってしまい、姿が見えなくなった。
 その後私が書棚で調べものをして戻ってくると、兄弟はさっきと同じところに座っている。私の姿が見えると、二人は静かになった。私は用事が済んだので鞄を持って立った。兄が私を見ているから「静かにしろよ」と言った。「え」と言ったように聞こえた。「静かにな」と言った。うなずいたように見えた。私は外へ出た。
 しかしロシヤ系混血少年すげーハンサムで、これは成長したら女たらしになるだろうと思った。度胸もあるし、下手すると結婚詐欺師?

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なんか私は経済学に疎いから知らないだけかと思っていたのだが、「朝日新聞」1997年8月5日夕刊に西島建男が書いた「マルクス読み直し」って記事があって、

柄谷は一九七〇年代の初め、新左翼運動が崩壊して「マルクスはだめだ」といわれた時期に、『マルクスその可能性の中心』を書いた。何が終焉しようと、資本主義は終焉を先送りするシステムであり、終わりをかんがえる思想を裏切る。資本主義は主義でも、経済的な下部構造でもなく、それは幻想の体系であると。
 戦中・戦後のマルクス経済学者宇野弘蔵の理論を引き継ぎ、いまや「宇野・柄谷派」といわれ、三十代の研究者に読み継がれる。いま、新たなマルクス論に取り組んでいる柄谷は語る。

 のこの「宇野・柄谷派」ってずっと存在するもんだと思っていたのだが、そうでもないらしい。西島ってのは当時この手の記事でブイブイ言わせていて、平川先生の自宅まで取材に来て話を聞いてまったく発言を使わなかったって怒っていたっけ。今どうしているんだろう。


 (小谷野敦)