玉突き引退

 いやーまた玉突き引退だあ。大嶽が解雇になったので大竜が二子山になると、安治川の光法が二子山に、谷川の敷島が安治川に、そして海鵬が引退して谷川と。もうハイエナのように、人がいなくなるのを待っている世界だなあ。しかし土佐ノ海魁皇もいるんだがいいのか。あ、今度は松ケ根の解雇待ちってことかそうですか…。

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 青野季吉の伝記がないのは遺憾なことだ。検挙後やたら気弱になったりしているが、やはり青野聰が書くべきだろう…。書いてるのかな? 

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平林たい子の夫は平林初之輔ではなくて小堀甚二。佐多稲子窪川鶴次郎と結婚する前の夫は小堀槐二。

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滝沢馬琴」の話だが、「柴東海散史(ママ)」というのもあった(木村毅『わが文学回顧録』)。ところでこの「ママ」だが、確か誰かがブログで、そんな人の間違いを指摘するようなことをしないで、直してやればいいじゃないかと言っていたがとんでもない話で人の文章を勝手に改竄したらそれは著作権法違反である。

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伊藤整『太平洋戦争日記』の冒頭1941年12月のところ、『小説の研究』を脱稿してあとは川端さんの署名をもらうだけ、こんな仕事をするのは嫌だと書いてある。代作だね。でもやらせる川端が悪い。川端は菊池寛の「慈悲心鳥」の代作をしたというが、結局菊池が徹底的に手を入れたというから、これはむしろ助手だな。

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関屋敏子の自殺の原因はルジャンドルの孫であるためゾルゲ事件との関係を疑われたからと矢野晶子『カルメンお美』にあり。里見とんが明らかにする前から知られていたということか。
 もっとも『カルメンお美』はあまり信用の置ける本ではない。これは佐藤美子というオペラ歌手の生涯を描いたもので、著者はその親戚だという。とうてい、よくできた本とはいえないが、中でも許し難いのは以下の部分である。石井歓に取材したら、高校時代の友人の「ケイサク」に佐藤美子を紹介されたという。著者は「ケイサク」について訊きたかったが石井は逃げたという。ケイサクは銀座に店を持つ実業家で、美子のパトロンだったという。美子はその名前を広めたくて、その名を冠した音楽賞を作り、石井、宮沢縦一、菅野浩和らが審査員をしたが、ケイサクが67年に急死したのでなくなってしまったという。これだけ書いておいて「ケイサク」が何者なのか分からないのである。そういうことを隠蔽したがる人は、本など書くべきではないと思う。 残念ながら著者は十年前に死んでしまっているが、生きていたら手紙を書くところだ。