佐伯彰一先生を偲ぶ会」が神田の学士会館であったので行ってきた。が、受付で会費を払い、何か配り物をもらってから、喫煙室へ行ったら、六年前は各階の廊下にあった喫煙所が、一階の片隅にガラス張りで小さくあるだけで、さらに配り物を見たら、平川祐弘が1997年に「とやま文学」に書いたとかいう「批評家佐伯彰一を批評する」という文章のコピーが入っていて、そこでは佐伯先生が『神道のこころ』を出した時の出版記念会で「この本が出ていわゆる右翼と呼ばれる人は喜んでいると思います」と小堀桂一郎が言った旨が記されて、そのあと小堀先生の悪口が延々と書いてあった。
 小堀先生も発起人だったのだが、座席表を見るといない。こりゃ恐ろしい会だなと背筋が寒くなった。いや知らない人から見たら平川先生も右翼なのだが、右翼の世界にも内ゲバがあることは「あたらしい教科書をつくる会」を見たって分かるであろう。
 私のテーブルには夏石番矢と西原大輔がいたので、これはたまらんと、そのまま帰ってきた。会費は香典と思って貰いたい。それにしてもこんな文章を出席者に配ることを許した運営もどうかしている。
 ところでその珍文章に、「日本人は自我がない」と言われていたのが、佐伯先生の『日本人の自伝』によって自我があることが証明された、というような一節がある。平川先生はこれをよく言うのだが、「ない」ってことはないだろうし、そんな異様なことを主張した人はいまい。また、日本人が日記や自伝を書いたから自我がある、というのであれば、別に佐伯先生が書かなくても自明のことである。このあたりも、ルース・ベネディクトなんぞに対して被害意識をもった平川さんの反米的妄想なのである。
小谷野敦