学問の流行

 

 

1997年5月に、小森陽一, 紅野謙介, 高橋修 編『 メディア・表象・イデオロギー : 明治三十年代の文化研究 』(小沢書店)という日本近代文学の論文集が出て、話題になったことがある。ところが、なんで話題になったのか、内容が斬新だとか、優れた論文があるとかいうことではなく、当時流行しかけていた「カルチュラルスタディーズ」の論文集を、東大教授で文学研究の指導的立場にあった小森陽一らが出した、これがお手本だということで話題になったに過ぎなかった。実際私は一年前の96年3月に八王子セミナーハウスで開かれた漱石をめぐるワークショップに出て、小森が、これからカルスタをやると言っているのを聞いていた。

 この現象を批判したのが、林淑美の「展望 最近の近代文学研究におけるある種の傾向について--(ホモ・アカデミクス)の(イデオロギ-装置) 」(『日本近代文学』 1998-05)で、林は中野重治を専門とする研究者だったが、内容ではなく流行が専攻し、小森のようなボスが支配する状態を批判したのである。学界的には林は不遇だったが、私は当時阪大にいた出原隆俊先生の手をわずらわせてこれを入手したのを覚えている。

 まあ1980年代から「流行の学問」というのがあって、ニューアカだったりポスコロだったりカルスタだったり網野善彦だったりホモエロテイクスだったりして、最近では震災とか感染症がはやっていたりするが、学者の中には流行とは関係なく実証的な研究を地道にやっている人がいて、そっちのほうが偉いと私も思うのだが、マスメディアはどうしたって流行の学問のほうを好むものであるなと。