「紳士協定」は、一九四七年にエリア・カザンが監督したグレゴリー・ペ
ック主演の社会派映画で、当時高い評価を受けたが、なぜか日本公開は四十
年遅れ、一九八七年のことだった。日本人はユダヤ人差別になど興味がない
と思われたか。
フィル(ペック)はカリフォルニアの新聞記者で、死んだ妻との間に息子
がいる。ニューヨークへ移ってきて、編集長からユダヤ人差別問題について
の記事を依頼される。フィルは、編集長の姪のキャシー(ドロシー・マグワ
イア)と恋に落ちるが、自分自身がユダヤ人だと言ってその体験記を書くこ
とにし、ユダヤ人差別の実態を知る。また幼なじみのユダヤ人デヴィッド(
ジョン・ガーフィールド)も登場する。
しかし、息子が学校で差別を受けたことから、キャシーの中に、自分らは
ユダヤ人ではないという優越意識があるとフィルが指摘し、二人の関係は悪
化する。食事の席でユダヤ人をからかった者がいても、キャシーは黙ってい
た。デヴィッドは、そういう時に黙っていることが差別への荷担なのだと話
し、キャシーは理解して物語はハッピーエンドに終わる。
この映画のすごさと恐ろしさに、日本人はあまり気づいていないような気
がする。日本にも差別はある。そして、差別をしていないつもりの人でも、
「わざわざそんな人と結婚しなくても」などと言う人がいた。あるいは、差
別そのものではなく、被差別者の出身であることを隠蔽することが正義だと
勘違いしている者もいる。殺人犯の娘であることが「氷点」だとするベスト
セラー小説もある。マスコミはそれらを問題にしようとはしない。臭いもの
には蓋の体質が今も続いているのである。
この映画はハッピーエンドに作られているが、『スミス都へ行く』と同じ
で、正義を貫くと人は不幸になるということを暗示している。こういう映画
が日本で作られた例を私は知らない。苦闘の末に黒人が大統領になる国に比
して、日本はまだこの点では子供の国なのである。