「コンペティション」(オリアンスキー)中央公論2018年5月

 プロコフィエフのピアノ協奏曲三番を聴くたびに、なんとプロコフィエフ
という人は偉大なのだろう、なぜ人々はもっとプロコフィエフを、モーツァ
ルトやベートーヴェンのように崇めないのだろうと思ってしまう。「日本プ
ロコフィエフ協会」というのがあったら入ろうかと思ったらなかった。
 二十世紀ソ連の文学は、パステルナークもソルジェニーツィンも私は感心
しないが、音楽はプロコフィエフストラヴィンスキーがいてすごい。もっ
とも彼らの時代はほとんど帝政ロシヤ時代だが。
 オリアンスキー監督の青春音楽映画「コンペティション」(一九八〇)を
観たのは九〇年代に入ってからだが、どうも自分が昔考えたヨーロッパを舞
台とした小説と筋が似ているな、と思った。しかしこれはたぶんこの映画の
筋をどこかで聞きこんで小説の筋を考えたのだろう。
 ピアニストを目ざす青年ポール(リチャード・ドレイファス)とハイジ(
エイミー・アーヴィング)が、ピアノ・コンクールで出会って恋に落ちると
いう物語だが、さほどシナリオが優れているとも思えない。最終決勝でハイ
ジが金賞、ポールが銀賞になり、ハイジは喜ぶのだが、ポールは失望し、ハ
イジとの仲が終わりになる、と思いきや祝勝パーティでポールが戻ってきて
エンド、という、まあ甘いといえば甘い映画だ。
 だが、その決勝戦で、ハイジが当初モーツァルトの協奏曲を弾こうとして
ピアノの一腱が不調であったため、ピアノと曲目を変えさせ、プロコフィエ
フの三番を弾くという、そこが好きなのである。オーケストラがロサンジェ
ルス・フィルであることは分かるが、ピアノは誰が弾いたか分からない。だ
がこのラスト近くに登場する曲としてプロコフィエフ三番は実に劇的である。
だがこういう場合、俳優はもちろん弾いているフリをしているのだろうが、
何か特殊技術があるのだろうか。とはいえ、エイミー・アーヴィングの弾き
ぶりは、何度か見ていると肩に力が入りすぎだったと思う。