音楽には物語がある(27)ミュージカルの作曲家(2)「中央公論」2021年3月

 「オクラホマ!」や「ショウ・ボート」は、映画にもなっている。「オクラホマ!」は一九五五年、フレッド・ジンネマン監督、「ショウ・ボート」は一九三六年と一九五一年に二度映画化されており、私は二度目のジョージ・シドニー監督のほうを観た。しかし、ミュージカルの古典という歴史的な意義以上のものはなく、今観ても面白くはない。

 「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイ・フェア・レディ」となると、今観ても面白いミュージカルということになるだろう。日本で独自にロングランしているものとして松本幸四郎(現白鸚)の「ラ・マンチャの男」があるが、理解に苦しむのは「屋根の上のヴァイオリン弾き」である。これはショーレム・アレイヘムというユダヤ系作家の「牛乳屋テヴィエ」を原作として一九六四年にジョゼフ・シュタインの脚本、ジェリー・ボックの音楽で初演され、七二年までロングラン公演した。七一年にはノーマン・ジュイソン監督で映画化されている。日本では六七年に森繁久彌の主演で帝劇で上演され、八六年まで断続的にロングランを続けたが、森繁が降りて上條恒彦西田敏行市村正親が演じて今も続いている。私は森繁版と映画を観ただけだがちっとも面白くなかったし、一般にも名作ミュージカルだとは言われていない。ニューヨークではユダヤ人たちがノスタルジーで観たらしいが、日本では森繁の異様な人気に支えられ、その後も森繁へのノスタルジーで上演され続けているのではないかとすら思える。

 森繁久彌がなぜあんなに尊敬されていたのか、私にはちょっと理解できない。「全著作森繁久彌コレクション」全5巻が藤原書店から出ているのだが、推薦人の名前に右翼・保守方面が多かったので、ああそういう人だったのかと納得した。「屋根の上の・・・」の森繁版はいっぺんテレビ中継を観たことがあるが、「おうっす」という感じで森繁が力を抜いて登場して、ずっと力を抜いたままだったから、これはファンのための森繁ショーなんだなあ、と思った。森繁のあの調子での講演に人気があるのは分かるが、対談は存外下手な感じがした。

 話を戻す。最近『キャッツ』の、舞台版ではないリアル版の映画ができて、はなはだ評判が悪いが、私は新宿駅南口で劇団四季がテントを張ってロングラン公演をしていたのを観た時から、この作品には妙に納得がいかないものを感じ続けてきた。あとは本国の上演のビデオも観たし、CDでも聴いたが、同じウェッバーの『エヴィータ』や、構成が似ている『コーラスライン』と比べて、子供だまし、大人の観る聴くものではないという気がしてきた。今回の映画版は特にひどいと思わなかったが、感想は変わらない。娼婦猫グリザベラの昇天という結末が、子供向けではない感じを出させているのだろうが、結局それもありがちな娼婦幻想で、『コーラスライン』で語られる一人一人の人生の物語に対して、擬人化された猫が語る猫生は、やはりそこそこ子供向けで薄っぺらい。ウェッバーの音楽も、物語の薄さにあわせて作られているという気がする。あと、ミュージカルもいいが原作も読んでほしい、と思うのは『レ・ミゼラブル』に尽きる。

 喜志哲雄が言うように、ミュージカルの黄金時代はもう終わった。それは二十世紀特有のもので、人々が、未来は明るく開けていると信じていた時代の表現形式だったのだろう。私はピンカー主義者だから、未来が暗いとは思わないが、たとえ未来がどうであろうと、人々はそういう未来の明るさを信じて生きていくということは、今はできなくなっている。