凍雲篩雪(76)折口信夫の恐ろしさ
一、広島の原爆慰霊碑に「安らかにお眠りください、過ちは繰り返しませぬから」と彫られているのはよく知られている。この碑銘を書いたのは、真珠湾攻撃の報を聞いて快哉を叫んだ高校教師である。「過ちは繰り返さない」主体が誰なのか分からないということは以前から言われていたが、日本語だから主語なしで書けるのだとか、いわんや、だから日本人には主体性がないのだとか言うのは、言語学を知らない者のいう悪質なデマに近い。これは英語なら「we」を主語として書かれるだろうし、その場合も主語が誰なのかは分からないのである。
阪本順治が監督した映画『エルネスト もう一人のチェ・ゲバラ』は、ゲバラ死去五十年を記念して作られたもので、日系二世ボリビア人のフレディ・マエムラをオダギリジョーが演じている。フレディはゲバラとともにボリビアの白色政権と戦って死ぬのだが、その映画の冒頭、キューバ使節として来日したゲバラが、原爆慰霊碑に行き、この碑銘を通訳されて、字幕では「なぜ主語がないのだ? 原爆を落とさなくても戦争は終わらせられた」などと言っている。しかし、イスパニア語に通訳した際に、主語なしで通訳したのか、と疑念を抱いた私は、第二外国語がイスパニア語だった妻に観てもらった。すると、「過ちは繰り返されないようにします」と受動態で訳されており、ゲバラは「なぜ主語がないのだ?」ではなく「誰が繰り返さないというのだ?」と言っているらしいことが分かった。もちろんゲバラは米国を批判したいのである。
イタリア語でも主語が省かれることはあるが、動詞の形から主語は判別できる。だが英語などでも、we などを使えば明確な主語は曖昧にできるのだが、近頃こうした「日本語は主語がない。だから・・・」式のインチキ日本文化論がまたぞろ復活してきている。どうやらそういうことを言う者らは、十六万年前にアフリカで単一発生した人類の普遍性というのを認めたくないらしい。
二、北村薫の『いとま申して』シリーズが、『小萩のかんざし』をもって全三巻で完結した。作者の父・宮本演彦が、慶大で折口信夫に師事し、高校教員として沖縄の民俗学をやっていた、その若いころを日記から再現したものだが、つくづく思ったのは、折口信夫は恐ろしい人だということである。私は常々、「巨人」崇拝ばかりしている民俗学を批判しているが、折口となると、松浦寿輝が名著だと言う「古代研究」はまったく日本語の体をなしていない、ちんぷんかんぷんなものだが、北村著を読んで、そのからくりがだいたい分かった。これは一種の折口教であり、「古代研究」などはその根本経典なのである。しかも折口はコカイン(当時合法)をやっていたというから、ラリって書いているために何を言っているのか分からない。折口門下では、この「古代研究」を読めるように学生を指導(教導)するようで、わけが分からないだけありがたみが増すのだ。呉智英は、吉本隆明の文章は下手で分かりにくいからありがたみがある、と書いていたが、折口などはその系譜のさらに重鎮のほうだろう。
第三巻では折口の人柄にも疑問符がつき、国文学・書誌学者の横山重が、折口による誹謗の犠牲となっている。北村は折口が悪いのかどうかぼかした書き方をしているが、これは折口を犯人として種明かしがない推理小説のようなもので、折口は横山を攻撃するために、明らかに根拠のない誹謗をこそこそとやっていたのだ。
『かまくら春秋』の四月号に、折口の弟子の池田弥三郎の子の池田光澑が父の思い出を書いているが(下)、そこで、池田のノートをまとめた『折口信夫芸能史講義 戦後篇』を編纂して出版したが、「この本の刊行後、折口の専門家だと称している連中がこの本に触れた例はまずない。この著作を迂闊に論じたら、研究者として命取りになりかねないということくらいは、それらの連中にも分るのだろう」とあり、一方、「しかし、父の死後三十五年にして、折口の学問は、慶応の国文科から完全に姿を消してしまった。早すぎた評価が、早すぎた衰亡を招いてしまった可能性がある」とも書いている。慶應でなくなったなら、前に出てきた「折口の専門家」はよそにいるということだろうか。この界隈はまるで秘密結社のように部外者には意味不明な話が出てくる。
三、『新潮45』四月号に、上原善広が「うつ病「減薬」体験記」が載っていた。私も減薬はやっているので興味深く読んだが、向精神薬は、いっぺんにやめると激しい禁断症状が出るので、アシュトン・マニュアルのような、少しずつ減らす処方箋も出ている。だがアシュトンですら、長年服用した人には減らすのが早すぎるようだ。ところが世の中には『[断薬]のススメ』の内海聡のような、過激な断薬論者がいて、すぐに全部やめろというようなことを言う。上原もどこで聞いたのか、「だから抜くときは断薬施設などを使って一気に抜くのが理想なのだが、日本の現状では睡眠薬を含む精神薬を一気に抜く施設がない」などと書いている。しかし、海外にそんな施設があるとは聞いたことがない。あったらアシュトン・マニュアルが広まったりしないだろうし、もしや上原は、麻薬をやめる施設と混同しているのではないか。上原とは前にツイッターでやりとりしたので聞いてみようと思ったらいなくなっていた。
四、「共同研究」というものがある。桑原武夫らが京大人文科学研究所で戦後始めたものによって名高く、国際日本文化研究センターでもこの方式を踏襲している。さかのぼれば、フランス十八世紀の「百科全書」派などがそのさきがけで、桑原はこれをまねたのだろう。しかし、この方式は果たしてそれほどの成果をあげえるものだろうか。桑原の『ルソー研究』などが有名だが、これは皮肉な話で、共同研究をした百科全書派より、個人でやったルソーのほうが後世への影響は大きい。私自身、シンガポールでの『暗夜行路』会議などに出て、日文研の共同研究にも参加したことがあるが、どうも徒労感が残るばかりだった気がする。もちろん、そこで知らなかった研究者と知り合える、というのはいいが、研究そのものが、共同でやることで個人でやるより高い成果をあげたかというと、ほかの人がやったものを見ても、あまりそうは思えないのである。
もともと、ちゃんとした研究者の研究は、他人の先行研究を参照したり、他の人の意見を聞いたりしてやるもので、一種の共同作業なのである。かえって、共同研究と銘打ち、学際的な研究などと言って、専門のばらばらな人を集めても、相乗効果は上がらないのではないかという気がする。
五、本誌に中川隆介という人が「純文学は私小説で、純文学は嫌いだ」という意味のことを書いていたが、純文学は私小説だけではない。安部公房もジョイスも純文学だろう。嫌いだというのは仕方のないことだが、前提がおかしいのは困る。