http://www.nichibun.ac.jp/~sadami/index.html
これで最後になるらしい。私がまた書き返すと最後にならないかもしれないのだが、やはりおかしいので書いておく。
私が片山杜秀の書評について言っているのは「日本の文学部はおかしい」というところである。これは明らかに鈴木氏が「人文学」と書いたのを誤読したのである。
なお菊池の退学事件について、校長を瀬戸虎記としたのは私の間違いで、事件の最中に校長は新渡戸から瀬戸に変わり、最終的な退学の決定をしたのは瀬戸ですが、成瀬や長崎太郎は、新渡戸と瀬戸と両方に話をしていました。失礼しました。
さて、どうも、鈴木氏の言うことが理解できないのは、近代になって文学史を編成する際にいろいろあった、というのは分かるのだが、そこからどうして、冒頭の文章(独自の人文学…)のような結論になるのかが、分からないのである。要するに鈴木氏は、柄谷や中村光夫を仮想敵として書いているけれど、私は彼らが正しいとは思っていないために、そうなるのであろう。つまり鈴木氏は「柄谷や中村が、日本の近代化は西洋化だと言うがそれは違う」と言い、私は「その通りですが、それが何か?」と言っている、というような。かといって全然西洋化でないわけではないのは当然なので、話が混乱するのである。
私小説のほとんどは「純文学」である。稀に例外はある。従って菊池寛が書いた「啓吉もの」は純文学です。しかし『真珠夫人』から後の長編小説は通俗小説です。歴史小説は世界的に見ても、純文学か否かが問題になっていて、シェンキェヴィッチなどノーベル賞をとったけれど、パール・バックと同じように、批評家は少々困っている。そういう、他国との比較もしてほしい、と言っているのである。菊池の小説・戯曲は最初からいくらか通俗味を帯びていた。私は一度も、あらゆる小説は純文学か通俗ものに分けられる、などとは言っていない。ちゃんと14日の分で「純文学と大衆文学のどちらともいえる小説がある、といったことを言う人は多いが、どう見たって大衆文学であろうというもの(西村京太郎の小説とか)と、どう見たって純文学であろうというもの(古井由吉とか)はあるのであって」と書いているではないか。「なぜ鈴木も通俗という語を使っているではないかと言わないのか」と言うが、それは鈴木氏が最初から、通俗という語は現代風俗を入れているから使ったのだ、と言っているからである。私はそういう意味では使っていない。常套的、感傷的、よくある話、お涙ちょうだい、メロドラマ的といった意味で使っている。
「仏教の教義について国文学科でやることはない」と書いたのは、鈴木さんが、日本文学史は宗教も入っている、としているから挙げたのです。
「小谷野君が戦前は『記紀』研究がまるでできなかったかのように書いたことに対して」
私はそのようなことはまったく書いていません。
1、鈴木さんが『古事記』や『日本書紀』が日本文学史の冒頭に来るのは不思議だ。西洋では『聖書』が文学史の初めに来たりはしない、と書いた。
2、私が、西洋だってギリシャ神話はあり、記紀はそれと同じだろうと言った。ただしそこで、記紀は明治政府の創造したイデオロギーである天皇制にとって聖書ではないか、と鈴木さんが言うのではないかと思ったから、そういう人もいただろう、と書いた。
3、しかし、どうもそう思っているわけでもないようなので、やはりギリシャ神話と同じだろうと書いた。
4、するとやはり、ギリシャ神話とは違うと言う。
記紀と『聖書』の、文化における位置は全然違います。以前、酒井直樹が大江健三郎と往復書簡を新聞に載せた時に、酒井は、山片蟠桃が『夢の代』で、記紀の神話が事実とは思われないと書いたことをさして、何という言論の自由があったのでしょう、と書いた。しかし徳川時代には、記紀などというものは聖典でも何でもなく、尊王思想のほうが反体制だったから、酒井の勘違い、と書いたことがある。
明治政府は、天皇教を作り出そうといろいろやってある程度成功したが、記紀を聖典とすることまでは出来なかった。従って記紀が文学史に載っていても何の不思議もない。
というわけで、戦後的な宣伝(戦前は天皇は現人神だと信じられていたなど)にとらえられているのは鈴木さんの方ではないでしょうか。
なお私が樋口一葉を挙げたのは、当時の通俗小説は新聞に連載される「家庭小説」だったろうという文脈でのことだが、鈴木氏は遂にそれに関しても何も言っていない。もちろん抽象的には言っているが、今後議論を深めるために、家庭小説について論じていただきたい。
なるほど最初から、そういうものが好きで娯楽小説を書く人もいるでしょう。菊池や久米、また近年は北方謙三や勝目梓の例で、「カネのために通俗小説を」と言ったまでですが、本旨は、純文学では食えないというところにあったのです。だから久米は「純文学余技説」を唱えたわけです。
だいたい1980年代半ばころから、従来の「純文学」「大衆小説」の違いに逆転現象が生じてきた、と私は考えている。自然主義以来、現実暴露的なものが「純文学」で、ロマンティックなものが「大衆・通俗」とされてきたが、たとえば中上健次や高樹のぶ子は、ロマンティックでありながら純文学であり、高村薫のような新社会派が、ミステリーとして直木賞の側に入れられている。私は桐野夏生が直木賞選考委員になったのも不思議なことだと思う。
それがまた、鈴木氏のいう安岡や遠藤、あるいは三島や川端のように、純文学を書いて、そのほかに生計のために通俗ものも書くというならいいですが(私は遠藤については純文学かどうか疑っていますが)、近年は通俗ものを書いてそのまま純文学作家として通用している人がいる。つまり鈴木さんの希望どおりになっているわけです。
あなたは、自分が用いている二分法で過去の人びとの作品も主張も分け、しかも、「文学」についてのさまざまな意見も姿勢も、みな、それに反対するか、賛成するかで分けようとしています。
そのようなことは私はしておりません。私は鈴木さんが、純文学と大衆文学という二分法をなくせ、と言っているから、そういう基準は必要だと言っているだけです。
尺度がいくつもあるのは当然のことです。たとえば加賀乙彦の『宣告』は、死刑を主題にしているということで純文学扱いされていますが、果してそうか、というのが、江藤淳が加賀を攻撃した(この場合は『帰らざる夏』ですが)理由だし、三浦綾子が宗教的主題を扱っていても、純文学と認められないといったこともあります。
「人々は、観念で作り上げた純文学/大衆文学という観念にとらえられて、後者により多くのカネを払うのでしょうか」ということばは、そっくり小谷野君に返したいのですが。あなたこそ「純文学/大衆文学という観念にとらえられて」いるのではないでしょうか。
違います。もしこの言葉を返されるなら、多くの人が読んで面白いと感じ、売れるから、後者に多くのカネを払うのだ、と答えます。もし鈴木さんが、多くの人が読んで面白いものが売れて栄えるのは当然のことだと言われるなら、笠井潔と同じことで、私には何も言うことはありません。笙野頼子と会ったのがいつのことか知りませんが、98年以前であれば、別に不思議はありません。
「純文学と大衆文学(通俗)という区別がなくなると」「鑑賞眼が高まる」と、どこで誰がいったことですか。「Aを実現するにはBという通念が邪魔している」という命題を「Bという通念を取り払えばAが実現する」などと、逆に読みかえてしまう頭脳は、論理をまともに用いる能力の欠如とわたしは見なしますが。それでよいですか。
これは典型的な詭弁ですね。逆ではなくて、ほとんど同じことですよ。「ゆとり教育のおかげで学力が低下した」と政治家が言い、ゆとり教育をやめて、それでも学力低下が止まらない時に、記者から「あなたはこう言ったではないか」と言われて「ゆとり教育をやめれば学力が向上するなどとは言っていない」などと言って通用すると思いますか。
辻原登の小説の多くを、私が通俗だと言うのは、物語性に寄りかかり過ぎているからです。しかしなぜ、純文学か通俗小説かを判定するのに定義が要るのでしょう。それは「批評」の領分です。文学作品の良しあしは、学問的には決定できない、学問的には言い得ない。私が、辻原は通俗だと言うのは、学者としてではなく、批評家としてです。『源氏物語』は、現代において書かれても純文学です。『落窪物語』が通俗であるのと対比すればよく分かります。ノースロップ・フライは、そういった区分に留めをさすのに『批評の解剖』を書きましたし、現実暴露的なものが純文学だというのは、フライの言う「サタイア」だけを純文学だとする判断に過ぎませんね。しかしフライは、学問は文学作品の良しあしを判定することはできないということを言ったのです。もし鈴木さんが、純文学と大衆文学という概念はこうこうこういう歴史を持っている、とだけ言うならそれは学問の領域ですが、そんな区分は取り払ってしまえ、と言ったらそれは批評の領域ですよ。もっともそのフライも、いざ具体的に論じる段になると、シェイクスピアや聖書をやるので、それはそれでフライの矛盾なのですがね。
鈴木さんがもし「純文学/通俗」という区分に害があると言われるなら、そのために具体的にどういう弊害があるかを指摘すべきでしょう。私がかねて、直木賞作家の藤堂志津子を高く評価してきたことは、ご存知ないでしょう。あるいは、群ようこという、多くの人に愛読されているエッセイストが、何らエッセイの賞(たとえば講談社エッセイ賞)をとらないのは、通俗だとされているからだと私は思っています。鈴木さんは紫式部文学賞の選考委員なのですから、群さんに授与するよう尽力してほしいものです(あれは女性限定の賞のようですから)。
前にも言いましたが、「純文学」というのは、いわば「保護関税」です。田久保英夫とか小沼丹とかの地味な作家が、売れずにいても、これは純文学だから売れる売れないで評価しないでくれ、と言うために必要なのです。どうも見ていると「大人」という語の使い方からして、鈴木さんは、私小説とか自然主義的純文学を、未熟なものと見なしているようです。そう言うと、言ってもいないことを捏造していると言われるかもしれないが、文学作品の価値判断というのは学問では出来ないから、歴史を辿って何とかそっちへ導こうとしているように見える。そして、文藝雑誌もまた、鈴木氏の言うような、笙野頼子に言わせるとネオリベラリズムで、売れる作家のほうへと靡く傾向がある。なお私は菊池の『受難華』や、源氏鶏太の『御身』を名作だと思いますが、通俗小説だと思う。それは下に見ているのではなくて、純文学を保護するためです。
小谷野君も、少しなれると、「あなたのいうことは、誰それのスキームにのっているだけだ、そんなスキームは誰それによって、とうに乗り越えられている」とか、言えるようになりますよ。
それを言っていいなら、鈴木さんは柄谷のスキームに乗っていて、それは私によって乗り越えられています。日本文学の特質を明らかにすると言いつつ、日本近代、時にちょっと近世までさかのぼって、いわゆる純文学作品および『日本思想大系』の類の言説ばかり扱うという点で、鈴木さんの方法は柄谷や、李孝徳、糸圭秀実『日本近代文学の誕生』とそっくりです。それに対して、私は『聖母のいない国』の巻頭にある『風と共に去りぬ』論で、米国における「純文学/通俗」の問題を論じており、ほかにも西洋の小説についてコメント的に書いています。柄谷―鈴木スキームは、西洋文学を問題にするなら、原語で読まなければいけないという思いこみが原因です。
お分かりでしょうが、海外にも「純文学/通俗」という区別はあります。それについても何か言わなければ、全然ダメです。
なお前の返答で「バカにされますよ」と繰り返していましたが、私はバカにされることも、理解できないのだと言われることもまったく恐れていません。私が恐れているのはただ、相手の剣幕に恐れをなして、理解できないことを理解できると言ってしまうことです。
そういえばロイヤル・タイラーがなんで『しぐれ茶屋おりく』なんか訳したのか不思議に思っていましたが、今回謎が解けました。
なお私には今のところ誰も何も言ってくれていません。「戦いは、一人で、全く一人でしなければならぬ。もしも真理が味方であるならば、それにまして強い味方はないではないか」というのが、私の座右の銘です。梅原猛の言葉で、私はこの銘をもって梅原猛とも戦います。
結局鈴木氏は、さんざん私を罵っておいて、何一つまともに答えてはいないのである。大岡昇平が井上靖との論争でやったように、大声をあげて相手を罵っておけば、人はそっちが優勢なのだと思うというのを適宜利用しているだけで、内実はまったく鈴木氏の負けである。
*
ところでこれは余談だが、鈴木氏は始め小説を書いていた。純文学短篇であり、単行本は三冊ある。鈴木沙那美名義で『蟻』(冬樹社、1979)、貞美で『谺』(河出、85)『言いだしかねて』(作品社、86)である。
1968年5月「羽化」『東大新聞』(蟻) 21歳
1972年3月「蝕」『新潮』(蟻) 25歳
1973年9月「囲鐃地」『早稲田文学』→『文學界』11月(蟻) 26歳
1974年12月「蛹」『早稲田文学』(蟻) 27歳
1976年12月「蟻」『早稲田文学』 29歳
1977年8月「葬」『すばる』(谺) 30歳
1981-82 「身も心も」『早稲田文学』に四回にわたり連載 34-35歳
1982年3月「凍蝶」『文藝』(谺)
11月「人形」『文藝』(谺)
1983年11月「言いだしかねて」『文藝』 36歳
1985年 『谺』
となるのだが、実はまだあったことに、なぜだか忘れたが気がついた。『文學界』86年12月号に「夏草夢痕」というのが載っているが、どうやら単行本未収録らしい。この号は、あの片山恭一の文學界新人賞受賞作「気配」も載っている。当時のこととて、執筆者の紹介はないのだが、目次には、鈴木氏の小説のところに「大型新鋭作家 渾身の力作一八○枚」とあって驚かされる。「身も心も」が映画化されるのはずっと後の97年のことだが、これだけ書いていて「新鋭」はないだろう。
読売新聞11月24日の中田浩二記者による文藝季評では、
鈴木貞美「夏草夢痕」(文学界)は、ひと夏、身分を偽って伊那谷の受験塾に講師に赴いた男が、木綿屋を営む女性と愛を交わしたばかりに人里離れた山小屋で、女の世話を受けながら生活するはめとなる。そして女の願うまま、その女の血につながる大正初めの赤穂電燈騒擾事件など村の政治闘争の敗北者たちが書き残した物語をひもとくうちに、自らの物語も書き加えるといった小説。村に帰り、女に助けられながら書き物にその存在をとどめ、再び永遠の放浪者となる男たちの運命が、擬古典的な物語スタイルで濃密に描かれている。
と簡潔にまとめられているが、鈴木が愛好する石川淳ばり、と言えようか。
97年に『言いだしかねて』が映画化にあわせ、『身も心も』と改題されて河出文庫に入った際、川本三郎が解説を書き、批評で知られる鈴木が小説を書いていたのは、あまり知られていない意外な事実だと書いている。
私も、鈴木氏が小説を書いていたことを知ったのは、批評家としての氏を知ってから後のことだが、これはまさに、「純文学」に怨念を抱くに足る履歴であろう。私はずっと、なぜ鈴木氏がこうも純文学を適視するのか考えていて、小説家になれなかった怨念という仮説も立ててはいたのだが、この作品を見出して、ほぼ確信に変わった。
若いころは小説家を(もちろん純文学の)を目指していた文学研究者や批評家は多いが、たいていは同人誌レベル、あるいは新人賞受賞レベルで終わる。中村和恵など、三島賞の候補になって、江藤淳らに酷評されたら、ぱったり書かなくなってしまった。
「夏草夢痕」は、藤原伊織を思い出させる。藤原は、友人の平石貴樹がすばる文学賞をとったので、自分も応募したらとったという。そして直木賞をとる。平石も、推理小説を書くようになる。いずれも、鈴木と同世代だが、藤原と鈴木は、東大仏文科で同期だったのではないか。
鈴木氏はかつて、批評家として鳴らした人だが、いつしかひどく「学者」的になっていった。実際それについて、怪訝(かいが)の念を表明する人さえいた。しばしば、文藝評論家などというのは、小説を書けないからやっているのだと悪口を言われるが、鈴木氏は、そこからも遠ざかっているように見える。
私は、論者、研究者について、生年、および現職などを書くことが多く、怪訝に思う人もいるようだが、こういうことを言う人が背景に何を背負っているのかということは、考えてしかるべきだと思っている。むろん、私自身、自分で私小説を書くから純文学を擁護するのである。