私の大学院の先輩に岸川典生さんという人がいる。といっても面識はない。学年では四つ上で、名簿で見た。この年には赤尾雄人というロシア・バレエの研究をしていた人もいたが、この二人はおそらく博士課程に進めなかったのだろう。赤尾さんも面識はないが、小松製作所に勤めてバレエ研究を続けている。当時の東大比較では、西洋をやると修士で追い出される確率が高かった。
 岸川さんは予備校で教えて人気があるという話だったが、数年前に検索したら、死んだという記事と、それを打ち消す記事とが出ていた。今回検索したら、それより新しい、死んだというコメントが見つかった。このコメントを書いている人の名前を検索すると関西方面の藝術家らしいので、本当かもしれない。

 
(付記)
 以上のブログに対して、赤尾雄人氏からメッセージがあり、同氏のフェイスブックに以下のような文章が掲載された。

 これを読んで、私はとても複雑な印象を感じざるを得ませんでした。
 まず第一に、この文章はいったい何を言いたくて書かれたものなのか、良く分からないということがあります。
 小谷野氏は私の修士時代の同輩・岸川氏について書きたかったようですが、最初から彼とは面識がないと書いています。そして、そのついでに小生の名前を挙げて、これまた小生とは面識がないと言いつつ、それでも小生の経歴についてネットか何かで仕入れたと思しき情報をコメントしつつ、「この二人はおそらく博士課程に進めなかったのだろう」と記しています。
 小谷野氏は「ダンス・マガジン」を出版している新書館から『東大駒場学派物語』という本を出しており、私も自分の出身校に関わる本なので読んでいましたが、要するに「当時の東大比較では、西洋をやると修士で追い出される確率が高かった」という同氏の主張を繰り返すために、岸川氏と私の名前を出したのだろうと想像がつきました。
 しかし、その一方で非常な不快感を感じずにはいられませんでした。
 同氏のブログはほぼ定期的に更新・継続され、一定量の文章が蓄積されると、いずれ単行本に纏められて公刊されることを知っています。小谷野氏には、ちくま学芸文庫から出ている『新編 八犬伝綺想』や中公新書夏目漱石を江戸から読む』『もてない男』『帰ってきたもてない男』などの著書があり、私も愛読していた一人ですが、それだけに日本の出版業界では少なからぬプレゼンスを持っていると思われます。そういう人が、面識もない小生や岸川氏について、たまさか大学院の同窓だったというだけで、しかも自分より年長者に対して何の断りもなしに「この二人はおそらく博士課程に進めなかったのだろう」と言って(書いて)のけるとは、なんとも情けなくなりました。
 このことが気に掛かったので、念のためFBのメッセージを通じて小谷野氏に「上記ブログの記載にはちょっと引っ掛かるところがありましたので、そのことを後刻、弊FB上にて取り上げたいと思いますが、予めご了解賜りたく」と伝えたところ、さっそく返信がありましたが「こんにちは。博士課程へ行けなかったというのは間違いでしたか?」という内容でした(私信を公開するのはルール違反ではないかという声もあるかも知れませんが、公開されているブログで、先に断りもなく個人名を挙げているのですから、この場合、私が謗りを受けることはあり得ないでしょう)。私は一瞬、あきれてものも言えませんでした。
 はっきり言っておきますが、小生が博士課程に行かなかったことは事実です。そして、仮に行きたいと思っていたとしても、行けなかったであろうことは本人が誰よりも理解しています(なんせ本人は修士さえハナから期待していなかったのに、ロシア科の恩師、故・森安達也先生がバックアップしてくれたお蔭で、定員10人のところ私の成績は9番目だったが、外国人留学生2名(日本人とは別枠)を含む11名が合格した。つまり私はオマケで入れてもらえたのですから、もともと修士課程の器でさえなかったのです)。その点で小谷野氏の言っていることは正しい。但し、私は決して研究室から追い出された訳ではないし、むしろ最初から外に出たくて仕方がなかったのです(この場合の外=ソビエト・ロシアでしたが、当時、日ソ間に国費交換留学制度はありませんでした)。
 しかし、なぜそんな30年も前のことを、いずれ公刊されるような公の場=ブログで取り上げる必要があるのでしょうか?私が情けないと思ったのは、小谷野氏が何の縁も所縁もない一般人を「博士課程に入れる・入れない」という二つのカテゴリーでしか分類していないということです。ある意味、敬愛していた研究者・著作家が物事をそんな二分法でしか人間を捉えられないということに、非常にがっかりした思いでした。
 小谷野さん、私は貴兄にとってはせいぜい行きずりの人間でしかありませんが、世の中には修士・博士課程なんか行かなくても、優れた仕事をしている人はたくさんいるのですよ。貴兄はあんなに素晴らしい本を書いているのですから、昨今のように無暗矢鱈と他人を攻撃したり非難するような文章を書き散らさず、もっと志操を高く持って優れた著作を残して下さい。

私は何も、博士課程へ行けなかったからダメだなどと言っているわけではなく、当時の東大比較の、日本をやれという圧力について書いた、その一環として書いただけである。それがなぜいけないのかまったく理解できない。なお私のブログは、すべてがいずれ活字になるというわけではない。またおそらく赤尾氏が考えているほどに多くの人が読んでいるわけでもない。「何の縁も所縁もない一般人」だとは私は思わない。研究者だと考えている。「志操高く」というのが、悪事や不正や卑怯が行われていても黙ってやり過ごす、という意味であれば、私はそういう「志操高」い人になりたいとは微塵も思っていない。
小谷野敦