「編」の謎

原基晶氏の新訳『神曲』が次々と刊行されている。私はあまりこの作品に興味がないのだが、解説では、先行訳にもしかるべき批判が加えられていて興味深い。せりふの部分などはこれまでなかった俗語訳であろうか。
 さて『神曲』の翻訳はこれまでだいたいこんなものがある。
山川丙三郎 1914−22 →岩波文庫
生田長江 1929 
野上素一 1962
平川祐弘 1966 →河出文庫
三浦逸雄 1970−72 →角川文庫
寿岳文章 1974−76 →集英社文庫
 講談社では、世界文学全集(1982)に平川訳が入っているのだが、これはもともとほかの人が訳す予定だったのが、できなかったため、河出のほうから平川訳を借りてきて入れたのである。これは誰がやる予定だったかというと、杉浦明平であろうか。野上訳は筑摩書房だが、なぜか筑摩では文庫化していない。新潮文庫も『神曲』は入れたことがない(戦前の生田のものは「文庫版」ではない)。三浦逸雄訳も今回復活したが、これは藝術院長・三浦朱門の父である。
 さて、『神曲』といえば、「地獄編」「天国編」「煉獄編」と三分割されるが、この「編」というのは、山川はつけていない「地獄」「煉獄」である。三浦も、つけていない。そりゃそうで、原作には「編」に相当するものはない。これは生田長江がつけたのを、あとの人が受け継いだのである。
 しかしこの「編」とは、何であろうか。手塚治虫の『火の鳥』は「黎明編」などとして「編」で長い物語を分けているし、五木寛之青春の門』もそうだ。五木の先達に当たる尾崎士郎も『人生劇場』を「青春篇」「愛慾篇」などとしている。『デビルマン』も「悪魔復活編」「妖鳥シレーヌ編」などとしていて、途中からなくなる。『サイボーグ009』は、最初は何もないのだが、いったん終わって復活してからは「海の底編」「ローレライ編」などが出てくる。
 だがこういう「編」の使い方が、昔からあったわけではない。しいて言えば『論語』の「公冶長編」などがあるが、物語類はたいてい「巻」であって「編」ではない。
 明治四年に、スマイルズの『セルフ・ヘルプ』を中村正直が『西国立志編』として訳しているが、これはかなり異様な題名である。「西国」は西洋の、という意味だが、この「編」の使い方。「別名・自助論」とあるが、その当時こういう「編」の使い方が一般的だったとは思えない。せいぜい会沢正志斎の「迪彝編」(天保四年)が思いつくくらいだ。
 前編・後編とか、完結編とかいうのはまた別である。またフレイザーの『黄金の枝』を、1943年に永橋卓介が『金枝篇』として訳しており、これなど当時としてずいぶん変わった邦訳題である。
 大正末年に佐藤紅緑の『大盗伝』が、「青春篇,愛恋篇,争闘篇」とやっており、だいたいこの大正末から昭和はじめにかけて「…篇」というのが登場し、戦後になって定着したという感じであろうか。