『谷崎潤一郎伝』の今昔

 私が『谷崎潤一郎伝』を出したのは2006年で、それから15年たって文庫版が出たが、特に大きな加筆訂正はしていない。「シナ」を「中国」にしたのは、近代に限ってのことで、別にそのままでも良かったのだが面倒なので直した。

 「松の木蔭」などの新資料を使って加筆してほしかったというレビューがあったのだが、「武州公秘話」の続編は、確かに「松の木蔭」に書いてはあるが、元の本でアンソニー・チェンバーズが松子から密かに見せてもらって書いたのを移していて、そちらのほうがまとまっているので、別に修正の必要はないと思った。いじると却ってチェンバーズ氏に失礼になる気もした。

 2006年には、谷崎と渡辺千萬子の往復書簡集も、嶋中鵬二宛ての書簡集もすでに出ていて、そのあと出た松子姉妹への書簡や娘鮎子への書簡集、「松の木蔭」などには、大きく伝記を変更すべき資料はなかった。せいぜい真鶴館のおかみとの不倫にからんで、私は谷崎の孫かもしれないという記事が『新潮45』に出たのが気になったが、これも黙殺した。

 歴史でも伝記でも、新資料というのはいつか尽きるものだ。

小谷野敦