こないだ出した新書で、英語は好きではないと書いたら、読者から手紙が来て、英語が好きなので英文科へ行ったのだと思っていたからショックを受けた、とあって、私はそれを見てショックを受けた。まだそんな勘違いをしている人がいるのかと。『東大駒場学派物語』で書いたはずだったし、別のところでも書いたと思っていた。
夏目漱石は文部省から「英語研究を命ず」と言われて悩んで英国へ行ったのだが、以来110年たってまだそういう混同が行われるのだなあ。
私は「文学」は好きであり、特に「小説」や戯曲が好きはあるが、英語に限らず、外国語に対して「好き」という感情を抱いたことは、いっぺんもない。第一、英語が好きで英文科へ行ったなら、英文科の大学院に行くぜ。しかし坪内祐三も英文科卒で、あの人はどうもけっこう英語が好きらしいのだが、あまり世間ではそうは思わない。
国文科へなぜ行かなかったのかと言えば、国文学など教わらなくても分かると傲慢にも思ったからだ、というのも書いた気がするのだが。私が今まで、勉強して楽しかった語学といえば、日本語の古典文法くらいである。漢文ですらそう好きではなかった。
あと単純に、もし大学の先生になるなら、英文科へ行っておけば英語教師の口があるだろうし何かと便利だろうと思ったからでもある。ただし、英語を「教える」のは好きである。
坂口安吾だったか、神経衰弱を治すには外国語を勉強するといいとか言っていて、柄谷行人もそれを引いて同じことを言っていたが、それは坂口や柄谷が外国語好きだからで、私の場合はそんなことしたら神経症が悪化してしまう。