岡村俊明「中野好夫論」(法政大学出版局)を途中まで読んでやめた。著者は1938年生まれの英文学者で、鳥取大学名誉教授である。
「伝」ではないのかと思ったら、実際「伝」も少しはあるものの、中野の著書や翻訳の解題みたいなものが続くのでやめた。
中野は斎藤勇の世話で戦前に東大英文科助教授になったのだが、この斎藤勇(たけし)は中野の存命中の1982年に気の狂った孫に殺されている。しかし熱心な反共主義者で、戦後の中野とは思想的に相いれなかったはずなのに、平然と「中央公論」で対談などしていたから驚いたことがある。中野の最初の妻は土井晩翠の娘で、保守派だから、その間に生まれた中野好之は保守派の政治思想史学者になり、二番目の妻から生まれた中野利子は中野自身について書くリベラル派になった。この本にはそういうことは書いていないようだ。
中野は戦後、天皇制廃止論者になった、ということは書いてある。そして著者はそういう中野を否定はしていない。しかし巻頭に置かれた年譜に、明治天皇の崩御とか大正天皇が崩ずとか書いてあるのは違和感があった。それに、第三高等学校へ行った中野が東大へ行ったのは京大英文科主任教授の厨川白村が大嫌いだったから、とあるが、中野が三高から東大へ行ったのは1923年で、その9月1日には関東大地震が起きているから、中野がすでに東京へ移っていればそれに際会したはずだがそれについても書いていないし、鎌倉でこの地震に遭遇した厨川白村は津波の水に巻き込まれて二日後に死んでいるがそういうことも書いてない。
1952年から『文学』に連載した「作家の素顔」という作家インタビューは、のち『現代の作家』中野好夫編として岩波新書に入っているが、著者はこの中から、川端康成など三人の作家の分を割と長めに引用しているが、これは川端などが語ったことで、中野を論じるのにそんなもの引用して何になるのだ。
(小谷野敦)