岸田秀

 文藝春秋のPR誌「本の話」9月号が届いた。岸田秀が、新刊の文春新書『唯幻論物語』の自己紹介文を書いている。これまで自分の唯幻論はだいたい二つの批判に晒されてきたという。一つは、岸田が自分の母親についての経験を書いていることへの非難で、何かの誤解ではないかとか、被害妄想ではないかとか、そんなひどい母親がいるとは信じられないとかいうものであるという。第二は、黒船幻想について、個人心理を説明する精神分析を集団心理に用いるのはおかしい、という批判であるという。岸田は前者について、批判者たちには根強い「母性愛幻想」があるのではないか、と答えている。そして小谷野敦が送ってくれた『すばらしき愚民社会』を読んでいたら「相変わらず似たような批判が並べられていた」とある。
 本来その『唯幻論物語』を読むべきであろうが、何しろ私は精神分析というものを科学とも学問とも思っていないし、その精神分析の世界でも岸田はまともな学者扱いされていない。かつ以前に往復書簡のやりとりをして、この人には科学というものが分かっていないということがはっきりしたし、これまで相手にしてきたのは岸田が和光大教授だったからであり、今やただの在野のエッセイストであるから、本気で相手にしない。(和光大教授だったから、というのは、それをもってまともな学者だと勘違いする人がいるだろうからである)
 第一の点について、私は「似たような批判」などしていないのである。私は、岸田の特異な体験を一般化できない、と言ったのである。まったくそれだけのことなのだが、岸田という人は遂に、論証とか証明とかいう科学の方法を理解しなかったようなので、だから話が噛み合わないし、こうして私の批判を誤解するのだ。          (小谷野敦