福田和也『奇妙な廃墟』の感想

もう20年以上前、福田和也が保守の論客として華々しく活躍していたころに、誰かから、「奇妙な廃墟」だけはいい本だと言われた。私は、いい本なんだろうなと思いつつ、本を買いまでしつつ、今日まで読まずに来たが、とうとう読んで、これを30歳そこそこで書くというのはすごいことだと思い、しかし22歳から29歳まで7年かかって書いたというのを読んで、まあ7年かければできるかなと思った。だがこれだけのものを書いても、ナチス協力作家が対象では、フランス文学者として大学でのキャリアは得られないのか、と思った。
この本は徹頭徹尾、客観的なアカデミズムの文章で書かれていて、文藝評論家的な跳躍はないし、日本の文学者を例として持ち出すことすらしていない。どちらかというとちくま学芸文庫柄谷行人の解説のほうが、悪く文藝評論的に書かれている。だが、どこまでがフランスその他海外での研究では明らかにされているのかは、卒読しただけでは分からない。
あとは「反近代主義」とか「反ヒューマニズム」ということについて、著者自身による解説がない気がするのと、キリスト教という文脈を無視しすぎではないかと思う。もっとも今となっては、著者が保守派の文藝評論家になってしまったことは、日本の文藝評論の歴史にとっても、不幸なことだったのではないかという気さえする。特に、シャルル・モーラスが王党派になると言った時、フランスの右翼に王党派はいなかったと書いてあるのは驚きだったが、それは福田和也が「天皇抜きのナショナリズム」と言ったあと、保守派論壇に嘲笑されて引っ込めてしまったことを、私は残念に思う。

小谷野敦