先ごろ、三島由紀夫賞と山本周五郎の選考委員会と、それに続く記者会見を見ていたら、山周賞の受賞作について、選考委員の小川哲が、「青春小説」としても読める、というようなことを言っていて、受賞者もその点について質問されていたので、おや、と思った。
文藝評論家の磯田光一が死んだのは、1987年の始め、私が大学院に入る少し前だったが、その時『現代詩手帖』が磯田の追悼特集を組んだので、やや意外に思いつつ買ってきたら、中に北方謙三の寄稿があった。北方は中央大学在学中に磯田に学んでいて、純文学小説を書いていたが、のち、『逃がれの町』などでデビューしたころ、磯田に会う機会があり、磯田が、君の小説、読んだよ、と言い、ああいうのを書いていくと新しい青春小説になるんじゃないかと言われ、北方が恐縮したということが書いてあった。
私はその時、「青春小説」という、まるで角川映画の宣伝文句に出てきそうな言葉を、ちゃんとした文藝評論家が使ったということに、ちょっと驚いたのであった。少なくとも当時の私にとって「青春」という言葉自体が、使うのを憚られる「こっ恥ずかしい」言葉であった。
私が中学2年生だった1976年にヒットした森田公一とトップギャランの「青春時代」という曲がある。うちの父が妙に好きだったが、当時からその題名に私は嫌な感じを覚えていた。運動会の時に、知らない生徒が作った「ぼくたちの青春を」みたいな垂れ幕を見たことがあって、けっ、中学生のくせして何が青春だよ、と思ったのを覚えているが、のち20代になっても、森田公一が歌ったみたいな、大学時代に女と同棲する、なんて華々しい、それでいて当人は「甘酸っぱい」か何か思っていそうな「青春」とは私はもちろん無縁だった。谷崎潤一郎にも「青春物語」という回想があるが、その内容は、関西で遊んでいたら汽車恐怖症に罹って東京へ帰れなくなったという、私自身が経験することになる事態を描いていて、あまり「青春」っぽくはない。
小椋佳の「さらば青春」(1971)は、1975年に田中健が「みんなのうた」で歌ったが、実はこの歌の歌詞には「青春」という語は出てこない。私はこちらの歌は歌詞が現代詩風で好きだが、この題名はどういうつもりだろう、という気持ちを持っている。五木寛之の「青春の門」が映画化されたのもその頃のことで、ちょっと流行していたのかもしれない。もっとも「青春時代」のほうも、今となってはそんなに嫌いな歌ではない。実をいえば私も20代のころ、普通の男のふりをして文章の中に「青春」と書いたり、「青春」が出てくる短歌を詠んだりしたことがある。
しかし、世の中には、それこそ女とあれこれあるような「青春」を送った人がいて、躊躇もなく「青春小説」などという言葉を使うんだろうと思うと、やっぱり嫌な感じがする。村上春樹などは、いかにも「青春の思い出」みたいなものを書く作家だと思って、『ノルウェイの森』からあとは嫌っていたが、今世紀に入ってからは、それほど嫌な感じの作家でもなくなった。それでも油断すると「あの村上春樹」に戻ることがある。
女に振られる『三四郎』も「青春小説」じゃないか、と言う人もいるかもしれないが、私の体験はあんな生やさしいものではないことは「悲望」を読めば分かる。しかし考えてみると、「青春」とか「青春小説」とか言いたがるのは、たいてい「男」ではないのか。女の歌手が「青春」と歌ったり、女の作家が「青春小説」と言ったりするだろうか。しかし太田治子の『青春失恋記』とか林京子の『青春』とか、題名に入っているのはあることはある。しかし「さらば青春」のように、青春は題名には使っても、歌詞や本文にはあまり使われない言葉ではなかろうか。(その後、結構歌詞や本文に出てくることに気づいた)
(小谷野敦)