私が1989年に博士課程に進学した時、インディアナ大学のスミエ・ジョーンズという近世文学の教授が東大比較に客員研究員で来ていて、よく話をした。
そのころ、ポール・オースターの『鍵のかかった部屋』の翻訳が出て(9月)、わりあいすぐ買って読んだのだが、村上春樹の『羊をめぐる冒険』の真似みたいな「自分探し」もので、結構つまらんと思ってスミエさんに話したら、
「そりゃあ江戸文学の作者なら「なぜ書くか」っていうようなことは考えているけど、アメリカの作家はそういうことは初めて考えるんだからもっと寛大にならなきゃ」
みたいなことを言われたのだが、私は近世文藝の作者が「なぜ書くか」というようなことを考えているとは思わなかったし、それはスミエさんによる近世文藝の過大評価だと今は思うが、それとは別にオースターはわりあい凡庸な作家だと思っただけで、それからあと有名になっていくのだがほとんど読んだことはなかった。
(小谷野敦)