「モデル小説でウソを書いてはいけない」というのを書いたが、あのタイトルは分かりやすくしただけで、たとえば名前を変えるのは当然として(ただし檀一雄の『リツ子』のように実名でも小説にはなる)、場所を変えるとか時間をずらすとかいうのはありうる。つまり他人をモデルにして、その人を実際より悪く書くというのが、やってはいけないことなのである。これまでモデル小説問題というのはいくつもあったが、それをやった小説というのは私の知る限りない。車谷長吉のケースがあるが、これはモデルとされた斎藤慎爾が説明せず提訴し、和解した上、車谷が名前だけ変えてそのまま単行本に入れたりしたため、わけが分からなくなっている。
 なお前回の「ウソ小説」は、八月八日に、企画が通らない、ということで私が業を煮やして、やめにしようと言ったのだが、小林としては、まだがんばれば企画が通ると考えていて、そこで降りる私に不満を感じた、ということを盛りに盛ってできたものだろう。
 また、小林が無償で私にインタビューしようとした件も、小林は不満だったようで、小説の書き手は、アマゾンレビューはタダで書いているのにと書いている。しかしあれは自発的に書いているわけで、ブログだってタダで書いている。自分が自発的にタダで書くのはいいが、人から「タダですがやりませんか」と言われたら断るというのは当然のことで、豊崎由美などは、プロは安い仕事をしてはいけないと言っているが、ツイッターはタダで書いている。
 この「タダで書く」については、煮え湯を飲まされた経験がある。98年ころ、まだ阪大にいた頃、「東京大学新聞」から、タダで原稿を書いてもらえないかと言ってきて、当時はお人よしだから、10枚くらい書いて送った。すると、こちらの都合で載せられなくなったと連絡が来た。まともな出版社なら、こういう場合は原稿料を払うもので、岸本葉子さんも駆け出しの頃、原稿を書いたのに雑誌がつぶれて、請求書を送って原稿料を払わせた経験を書いている。だが最初からタダなのだから、やらずぶったくりである。小林よしのりが昔、大学生の取材に怒っていたことがあったが、実にその通りであると思った。
新聞などから電話がかかってきてコメントを求められることがあるが、これはタダである。しかし新聞に名前が出れば宣伝になるから答える。テレビでも同じである。本多勝一あたりが大江健三郎に、小さい出版社からは出さないなどとケチをつけるのは実に図々しい話で、作家が大きい、流通しやすい出版社から本を出したいと思うのは当然なのである。しかもそれを、朝日新聞のような給料のいい新聞社に勤めていた本多が言うか、という、まことに呆れ返った話なのである。
小谷野敦