モデル小説でウソを書いてはいけない

昨年6月11日のことである。小林拓矢からの紹介だと言って、某出版社の若い編集者から企画の打診があった。渡辺淳一論を書いてほしいというのである。私はそれ相応に関心があったので、18日に編集者と浜田山で面談し、書く方向で話は進んだ。編集者は、社内で調整する、と言って帰っていった。
 ところが、なかなか連絡が来ない。八月八日、私は編集者に、まだですか、企画が通らなかったのですかとメールをした。すると、

企画としてダメだったということではなく、
周囲に理解してもらうための材料集めがまだ準備不足ではありまして
何とか今月末から来月にかけて企画承認を得られればと考えております。
申し訳ございませんが、もうしばらくお待ちいただければ幸いです。
(もし企画として通らなかった際も、その旨はご連絡させていただきます)
もし先生のほうでざっくりと考えている構成案等ございましたら
お教えいただければ有り難く存じます。

 という返事が来た。私は、あちらから持ちかけた企画で、その後二ヶ月近くたってこんな状態で、しかも「企画として通らなかった際も、その旨は」などと言ってくるのでは、これはダメだろうと思った。そこで彼に電話をさせて、これはもう無理だからやめにした方がいい、と言った。
 ところが、拓矢の妻であるらしい女は、こんなことを書いている。小説なので変名になっている。
(https://infotomb.com/dbet1)
そこでは何やら、企画は順調に進行していたのに、十月になって私が突然理由も言わず「やめる」と言い出して、上司も出てきて説得したのだがきかず(私は上司などとはまったく接触していない)、小林拓矢の努力が水の泡になった、などと書いてあった。
 これを発見した私は驚いて、その編集者に連絡した。編集者は、企画が通らなかったことは小林に伝えてあるはずで、なぜこのような創作をするのか、抗議すると言った。ところがそこへ、小林から電話が入った。出ると、「私たち夫婦に最終的に何を求めているのですか」と言う。別に「最終的に」求めていることなどないし、「別に何も」と答えると、「分かりました」と言って電話は切れた。
 何がどうなっているのかと思い、編集者にメールすると、小林曰く、あれは自分が話した内容とは関係なく妻がフィクションとして書いたもので、謝罪する、と言ってきたという。編集者には謝罪して私には謝罪しないのか。
 なおこの女性が「フィクション」と称して書いている「小説」には、事実誤認がある。たとえば、この二人が本郷のルオーへ行った時、そこで私と今の妻が会ったことは「私たち」はその時点では知らなかった、とあるが、そのことは妻が当時『婦人公論』に書いたから、少なくとも小林は知っていたはずである。また、小林が東大の大学院を受けた時、妻が学部生だったとあるが、これは二〇一一年のことで、妻は博士課程にいたはずである。事実に基づいた小説を書く時は、よく調べて年表を作ることだ。
 あとついでに書いておくが、森下雅子が出ている「ダイレンジャー」については、九話から出ているというからそれからずっと出たものと思い、アマゾンで見たらDVDが高かったのでVHSを買ったらそれが12話からだったというだけのことだ。